外に出る事に理由はいらないし幾度か、片手の指で足りない程には理由なく出た事はある。
 けれど今回は理由というものがあった。
 いわゆる届け物という奴だ。人里に寄ってから永遠亭まで行く事になるが、別に急ぐ用事でもないのでゆっくりと行こう。
 期限を設けられていない届け物だ。あちらも急ぎではないのだろう。
 本来なら今日行く事はない。だが明日やれる事を今日行うというのも悪くないだろう。
 明日だろうと百年後だろうと何も変わらないのだろうが。
 

霖之助散歩録 〜The loop of Tears〜

   そろそろ夏も終わりだろうというのに今年の暑さは去年に比べると眩暈がするような暑さだ。
 毎年毎年気温が上昇している、と感じるのはおそらく僕の気のせいだ。
 数十年前にも同じ事を思っていたと思う。
 だから数十年後も同じ事を思うだろう。
 そしてこう思った。
 虫もそれなりに多いしどうにかならないだろうか。
 いやどうにもならないだろう。虫ほど多く小さい存在はない。それはどこにでも居るという事だ。
 せめて僕の住居にまでは入らないようにしたいのだがそこはリグルでも居なければならない。
 何かツテでもあればスイカでもあげて店に近づけさせないように頼めたのだが生憎と僕には彼女へと繋がるようなツテはない。
 ……はて? 蛍はスイカを食べただろうか。樹液の方がいいかもしれないな。いつかの油揚げのように来てくれるだろう。
 あれは結局誰が取っていったのかわからないままなのだが。
 何はともあれ、行く気になったのだから行こう。扉を開けて人里の方向へと歩く。途中に別れた道を左に曲がり向かう先は迷いの竹林。
 しかし、ここまで歩いてしまったのだから仕方がないが流石に気だるくなってきた。
 向こうへ付いたら冷たいお茶の一つでも貰うとしよう。夏とは言え夜ならば多少は涼しく過ごせるだろう。
 最も一番の問題は無事竹林を抜ける事が出来るかどうかなのだが。そこをわかっているから期限を設けていないのだろう。
 その場合は人里の方で誰かが来た時にでも渡してもらうとしよう。無理をしてあそこを抜ける気はないのだ。
 ああ、だが妹紅君に無事会えたなら送ってくれるだろうか。永遠亭の姫とは仲が宜しくないと専らの噂だが、仕事ならば彼女も引き受けてくれるだろう。
 竹林まで歩く途中で早くも屋台の準備をしているミスティアを見た。夏で日が暮れるのも遅いと言うのに、気が早い事だ。
 幻想郷の連中なら昼よ夜も余り関係ないのだろうが。
 それにしても日光が厳しい。日傘の一つでも持ってくればよかっただろうかとも思うが、右手にある重さを考えるとなくて良かったかもしれない。
 ああいうのは意外と嵩張るんだ。どうせ帰りは夜になるのだろうし無くていいな。
 不快な気持ちにさせるこの汗も夏の風物詩だと思えば気に、なりはするがどうでもいい。
 汗と言えば、外から流れてきた脇に挟むパッドは女性に好評だったな。弾幕ごっこを行う彼女らは余りつける事をしないが里の女性には案外好評だったのだ。僕は大量生産などは出来ないのでそこは里の人間に任せたが。
 ワーハクタクの彼女は必要なのか、それとも弾幕ごっこのために不要なのか。失礼な事だが少し考えてしまう。
 一応彼女は教師という側面もあるのだし、余り不恰好な事は出来ないのだから必要なのかもしれない。
 今度コネを作るという意味で大量に入荷できたら渡すとしてみるか。ただ永遠亭の彼女たちには不要なイメージがあるな。
 ああいう庶民的なものは似合わない気がする。竹林の森は外よりも涼しいのだろうからそのせいなのだろうか。
 と、考えている内に竹林の森の入り口まで辿り着いてしまった。
 やはり歩くと思考が冴える。森の中はやや暗く、先を見通すのは難しそうだ。
 溜息を一つ吐く。ああ、どれくらい迷う事になるのかと考えるととても気が重くなってしまう。
 とは言えこのまま立ち止まって居ても仕方がない。帰るにしてもここまで来たのだから目的を果たそうとはしよう。
 運よく付けば御の字で悪ければ帰るだけの話だ。野宿ばかりは勘弁したいが、まぁ季節も季節だからそれ程には苦にならないだろう。
 地面が固い事を除けば、だけれどね。
 さて、歩く。ただ歩く。只管に歩く。
 目的地への目印ぐらいはあってもいいと思うのだが、防犯上の観点から難しいのだろうか。聞いた話によると永遠亭に住む者は恐ろしく強いという事なので大抵の妖怪風情では近寄りたく思わないはずだが。
 歩きながら白い妖怪兎を探してみる。彼女に会えれば幸運なのだが、そうそう上手く幸運が舞い込むはずもないのだ。
 この場合に僕が探しているのは幸運を呼び込む兎であって、薬師として里に来る方の彼女ではない。
 因幡の白兎。随分と昔から存在する彼女は僕よりも遥に年上である。長く生きているのだから妖怪としても上に居ておかしくはないと思うのだが、そこはやはり兎鍋にされてしまう存在だ。
 やはり幸運を齎すようになったのは兎鍋から逃れるためなのだろうか。下手に力を持つと退治されるのだから案外に賢い手段なのかもしれない。
 長く生きた者はやはり、獣と言えどもその智は侮れないものがあるものだ。まぁ案外大国主に幸運を招かせたからとって付けた能力なのかもしれないがね。
 そういえばもう一匹の薬師兎の方は、どういう兎なのだろうか。因幡の方より長生きというわけではないだろうし、兎にしても賢いし強いのだが。
 詳細などとっくに忘れてしまったし僕とは余り縁もないので印象が薄いのだ。有名な話があるというわけでもないし。
 いずれ店にでも来たら聞いてみてもいいかもしれないな。
「……さて。中々辿り着けないのだ」
 いい加減、竹を見るのも飽きてきたので諦めて帰るべきか。あのお姫様の従者ならばこの状況程度は予想してくれると思う。
 あの従者もそういえば不思議な人だが、医者という存在自体が僕には余り縁がない。彼女らが扱う機器に興味を惹かれる部分があるのは否定しないが、わざわざここまで来るというのは面倒な話である。
 毎日来るのは僕の習性を見るにありえず、僕の来る時だけ案内を置くというのはまず不可能である。
 空高く飛べるのならいいのだろうが、いやはや。難しい問題だ。
 しかし何故彼女は、というよりも彼女たちはこんな場所に居を構えているのやら。
 今まで存在が知られていなかったのはあの歴史書で書いてあったような気がするが、思い出せないな。
 自分たちの存在を隠蔽する必要があったとかなんとかと言うのだったか? まぁ間違いだろうと大した事ではないだろう。
 さて。いい加減陽も落ちてきた。冷たいお茶でも出されたら腹が冷えてしまいそうだし、そろそろ帰ろう。
 ……まぁ、帰るのもまた一苦労なのだがね。人里に行くのは明日でいいとしても、ここから出るのは何時になるのかわからない。
 そういえば前も外に出た時は迷いに迷って白玉楼にまで行ってしまった覚えがあるなぁ。やはり外に出るのは面倒だ。
 あの時はめったに見られない物が見れたので満足したが今回はそれもない。せいぜい帰りにミスティアの屋台に寄るのが関の山だろう。
 鰻は鰻で今年は大量に取れたと聞くしふんだんに使われて居て美味しいのだがね。
 味を思い出し口の中に涎が氾濫する。うん、永遠亭を見る事が出来なかったのはいささか残念だがそろそろ帰るとしよう。
 せめて今夜中に、欲を言えば彼女の店が開いている内に。
 ここで都合よく兎が出てくれるような幸運があればいいのだが、果たして僕にそのような幸運はないのだ。
 月が笑っているように見えるのは錯覚だろうか。
 そうそう、月と言えば多くの化生にとって重要なのだが――無論僕も満月の夜には少しばかり機嫌が良くなる――日本には月に関連した妖怪が数少ない。神ならば幾柱かは居るのだが。
 精精が桂男ぐらいだろうか。あの妖怪はやけに美形なので里に来ようものなら女性に大人気だったりする。
 本人も自覚があるのか余り里の方に行くことはないし、そもそも何処に住んでいるのかもわからないのだが。案外、彼は月の住人だったりするのだろうか。
 だとすると笑っているように見えたのは彼が笑っているのか。今度見つけた時に愚痴の一つでも言っておこう。
 話が脱線してしまった。まぁどうせ僕が一人で暇潰しに考えているだけなのだから何も問題はないのだが。
 どうでもいいついでに永遠亭のお姫様についても少しだけ考えてみよう。彼女は姫だというが、何処の姫なのか。
 永遠亭の姫、という華を示すにしては従者はやけに彼女を大事に、というよりは厳重に警備しているように思える。
 華がどこの誰とも知らない者に摘まれるのかを忌避している、という風には到底見えない。
 そもそもあの姫もまた、こんな所に住んでいる時点で常ならぬ者だと言う事は想像に難くないが。
 月の技術を持つ者が姫と呼ぶ。まさか月の姫だとは思わないし、かぐや姫だなんて言ってしまっては笑い話になるだろう。
 ただ彼女の話はやけに面白い。滅多に、というより兎に合う程の幸運が無ければ聞くことも出来ないし、僕が招待されるとは考えない。
 招待されたら無碍に断るわけにも行かないのでありがたくそのお誘いを受けるに吝かではないが。
 ふむ、そうだな。今度里へ行き荷物を預けよう。後は、ここの姫様へ献上品でも送ってみようか。
 せめて道ぐらいはどうにかして欲しいという恋文でも付ければ上等だろうね。
 ……結局、僕は何を考えて居たのだったか。早く帰るという事だけを覚えていれば良かったような気はするが。
 はぁ。さて、どれくらいで竹林から抜け出せるのやら。ああ、結局思考はそこに堂々巡りしてしまうわけか。
 襲われる事はないと思うが、下手な獣に出くわさない事だけは祈っておこう。



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