外に出ようと考えた。
 仕入れのために無縁塚には幾度か出ているのだがその回数は決して多くはない。
 何の目的もなく外に出る事すらこれまでの人妖生を紐解き片手の指全部を使う程度だろう。
 百聞は一見にとは言うが千見よりも一触で道具の用途を理解できる能力を持っているというのがきっとこの性格の一因なのかもしれない。
 因果は逆なのかもしれないが。
 けれど、そんな僕でもたまには外に出たくなる時がある。
 例えば春も近いというのに寒い季節。だが暖かい日だってある。微かに肌寒く、微かに暑い。
 こんな言いがたい日だからだろう。外に出ようと思うのは。   

香霖堂散歩録〜 Fell into a mysterious dream〜

 一面銀世界といわないまでも微かに雪は残っている。いや残っているというのは誇張をし過ぎだろう。
 雪があったような跡が見れるという程度か。微かに冷気を感じさせるもしかし空から降り注ぐ太陽は僕の身体を照らし出している。
 ぬくい。歩いていると汗が出てしまうかもしれない。しかし上に羽織っている物を脱いでしまうとそれはそれで寒いのだ。どうにも体温調節が難しい時期だ。
 生憎と半分だけ人ではない僕ならば少しぐらい寒かろうが風邪を引く事はないのだが寒さには強くないのが災いしているのだろう。
 けれどまぁ、こういうのもまた風情があるのではないだろうか。
 暑さ寒さも彼岸までというのは季節が一度死に新たな季節が黄泉路から帰ってくるからである。では何故季節は死なないのか。いや、実際は死んでいるのだ。
 死んではいるのだが、自然は死なない。死んでいるのに死んでいないという矛盾である。
 閻魔もこれには毎回頭を悩ませるのだろう、しかし死しているのに魂はあるのかないかでは、ない。
 ならば死なないというのは大きな間違いで魂があろうとなかろうと死ぬものは死ぬのだ。
 だが魂が無ければ輪廻を巡る事はない。また妖怪として産まれたわけではないので闇に還る事もない。
 ならば自然はどこに還るのかというと、自然へ還るのだ。
 一度死した自然はまた別の自然に変わる。だからこそ季節は巡るわけである。では何故死ぬ必要があるのかといえば性質を変えるためなのだろう。
 ならば決まっているのなら何故閻魔が頭を悩ませるかというと、白黒はっきりつけなければならない物に一切の特例はないのだ。
 故に毎回裁きを下すのに時間がかかる。その間に並ぶ霊魂は終わりを待たなければならないが小粋な死神の計らいでその間だけこちらの世界に帰す。勿論それは優しさではないのだろう。
 けれど死者にはありがたい事である。
 かつて死した人間が還れるのはそれに便乗しているからだろう。他の皆まで騒いでいるのに自身だけ騒がない者はこの幻想郷にはいない。
 それは魂だけになっても変わりはしないのだ。
 しかし今は彼岸だというのにまだ寒さが残っている。これは多分、幽界の門がまだ開いているからではないだろうか。
 季節は大きい。身体が見えない程に大きいのだ。それに透明なのだろう。
 三途の河が広大といっても限界がある。本来はあそこにどうにか窮屈に収めているのだろうが今回は門が開いているのだからそれを活用しているのだろう。どこの世界にも横着者はいるのだ。
 これが稀に起こる異常気象の原因だ。
 外の世界でも起こる事があるならばそれは幽界の門が開いてしまっているのかもしれない。見えないだけで霊魂はそこらに犇いているのだろう。
 夏ならばいいのだが冬になってしまっては寒いのが収まるはずがない。季節の力も加えてね。
 溶けかけの雪をシャクリ、シャクリと踏みしめながら歩けば靴はすでに泥と水で汚れている。防水性にしていなかったら足袋まで濡れてしまっていたところだ。
 上を見れば未だに未練がましく残って桜の花が咲くのを邪魔している雪は、なんともまぁ見事なものだ。天狗のカメラがあればこの光景を写真に納めていただろうか。いや、しないだろう。
 この幽玄な光景は記憶にだけ残ればいいのだ。
 蕾の上に降りる雪。それはまるで桜を安眠させているようなシーツとなっている。桜はそれ故に咲くのが遅れているのだろう。所謂寝坊だ。
 こういう光景ももしかしたら多くの人は見ているのだろうし僕も昔は幾度か見た事はあるだろう。けれどその時に感じた感情まで一寸たがわず同じである事はないのだ。
 同じ光景を見て、違う想いを抱く。これはきっと人の血が為せる力なのだろう。
 幽玄の光景であり、夢幻の光景。
 こういう時はこういう身体に産まれて便利な物だと思える。長くこういう光景を楽しめるのだからね。
 ああ、しかしこう長く歩いているとやはり頭の回転が速くなる。
 頭の回転が速くなってしまうとそれは周囲に気が向かなくなる。
 例えば、先ほどまでの僕は景色に気を取られ、更に雪の原理について思考しレティ・ホワイトロックから身を隠しながら歩いていた。
 気が付いた時には僕は何故か森の中でたっており周囲には何も見えない。
 視覚的には全てが見えているのだが見知った光景が一つもないという事なのだが、ふむ。迷ったわけではないのは確かだ。けれどここは見知らぬ場所である。
 ならば、とりあえず見知った場所に出るまで歩いてみるのが最良なのだろう。
 歩いていれば何かが見つかるかもしれない。ただそもそも、今回の目的が散歩という事を含めて考えればこういう事があるのは悪い事ではないだろう。
 帰る道がないなら見つかるまで歩くことができる。勿論ある程度の疲れは出るだろうがまさか一週間以上もここで迷う事はないだろう。
 もしもの時は木の上にでも登れば魔理沙や霊夢、射命丸君が飛んでるのを見つけて送って貰えばいい。
「……ふむ。森の中に家か」
 今後の事も含めて考えているとみすぼらしい家を見つけてしまった。炬燵はないようだが猫は軒下に数匹居るようだ。
 ただ妖怪の気配はしないのでここの主は更に上の主とでもでかけているのだろう。
 猫だらけの家。猫の妖怪の残滓。森の中にある。うん、間違いなくここがマヨヒガだろう。
 建築物について造詣は深くないが建てられてから五十年以上は経っているように見える。それでも大黒柱は遠めから見てもしっかりと作られているように見える。
 職人の腕なのだろうか、それとも良い材木を使っているのだろうか。もしかするとこの家はすでに付喪神となっている可能性も否定できない。
「もう少しきちんとしていれば何か物でも拾って帰るんだが、拾う物もなさそうだしなぁ」
 僕にだって良心というものは存在する。またたびでもあれば置いて帰ったんだが生憎と今日はそういうものを持ち歩いてはいないのだ。
 少しはこういう事態を予想しておけばよかっただろうか、いや無理だろう。僕には生憎と未来を見通せる能力もないのだ。
 まぁ何はともあれここの場所もある程度は予測が立てられた。場所は前に射名丸君の新聞か何かでわかったし、うん。こちらの方向へ歩いていけばおそらく香霖堂へ付くだろう。
 森の中をもう一度歩く事は少しばかり嫌気がさすが帰るためだから仕方がない。
 もう一度ここに来る事があれば家の中までしっかりと見ておく事にしよう。建築方法はさすがにわからないが丈夫な家を建てる時の参考にはなるだろう。
 香霖堂が大きくなり客の絶えぬ店になればあの店も少しばかり増築が必要になる。ああ、その時はこの森の材木でも調達しよう。マヨヒガ周辺の木ならご利益もあるかもしれない。
 願掛け程度だが。
 森の中を進む。まだ陽は中天であり普段なら本を読みながらお茶でも汲んでいる頃合だろうか。
 魔理沙や霊夢が来ているという可能性もない事はないだろうがあの二人だって僕の居ない店でくつろぐことはないだろう。何か物を勝手に持っていく光景なら容易に想像がつくのだが。
 森の中を歩く、更に歩く。考えていると店の事が心配になってきた。早く帰るとしよう、っと。何かに足を取られる。一体なんだろうか。
「……なんだ、人形か」
 一体の人形の、残骸らしき物が落ちている。雪と土の混じった泥で汚れているし部品というか手も足もないように見えるが、これは造詣からしてアリスの人形ではないだろうか。
 そうなのだとしたら何故こんな所にあるのだろう。……ああ、そうか。思い出した。確かいつか春が盗まれて大変な騒ぎになっていたことがあったな。
 ならばこの人形は弾幕勝負の時に用いられた人形なのだろう。さしものアリスも負けたのだろうし、少しは苦戦したのかもしれない。
 一応拾っておいて店に来た時に売りつけてみるのはなしではないだろう。
 一通り考え結論を出してから人形を広い上げバッグの中へと丁寧に入れる。乱雑に扱ってはこれ以上壊れてしまうかもしれない。今でさえ壊れる寸前だというのにこれ以上では本当に捨てるしかなくなる。
 それだけは一応避けておこう。修繕すれば売り物にも使えるだろう。
 使えなくても何かには使用できるかもしれない。
 売れれば恩の字だ。
「さて、いやだがここに人形があるという事はもしかして道を間違ってしまっているのだろうか」
 十分ありえる話だ。けれどここまで来てしまったのならば仕方がないだろう。最悪妖夢にでも道案内を頼むとしよう。やれやれ、ここが迷いの森だったとは聞いていなかったのだが。
 こういう場所こそを幻想郷縁起では記して欲しい。いや彼女の本でかかれないのならば僕の本で書くのが正解だろうか。
 何せ僕の本もまた歴史書となるのだ。あの本に載らない事を載せればその価値はとたんに跳ね上がるに違いない。
 もう一つの歴史書という点ですら価値になるのだ。その価値が上がるとすれば、それは星の数のように零の値が増えるだろう。とはいえ売る気はないが。
 ああいうものに値段をつけては多数の人間が手に取れなくなってしまう。あれは謝礼程度の気持ちを受け取り配るものだろうね。
 歩き、歩き。更に歩きながら考える。進む道には森しか見えない。……空も暗くなってきたことだし本格的に危ないのかもしれない。
 ……? いや。空が暗くなるほど僕は歩いただろうか。時間の感覚を亡くした覚えはないのだが。
 と、ようやく空を見上げて気付く。いつの間にあったのだろう、この門は。
 そこまで没頭していたわけではないと思うのだが、いやだがそういうものなのかもしれない。結界というのは気付かなければないに等しい物だ。まぁ今は壊れているのだからいつでも気付けるが。
「ここまで来たついでだな。宴会でもやっていれば帰りは楽なんだがなぁ」
 期待はできないな。何せ、まだ冬だ。暦の上では春だが肌寒い事に変わりはない。暖かいどこかでくつろいで家の中で飲むなり話していたりしているだろう。
 外に出ているのは風の子か妖精ぐらいなものだろうしね。
 勿論僕は例外だが。
「何奴!」
 壊れている門をくぐり階段に足をかけたところで辻きり魔に出くわした。隣を過ぎても余り気にしないでいてくれたのだが階段に足をかけた所で声を叩きつけられた。
 この子の基準が良くわからないな。
「君に用があって来たんだが」
「え? あ、そうなんですか? でも私何も無くしてませんよ」
「僕は探偵や失せ物探しではないんだがね」
「悪徳質屋でしたっけ?」
「やや面白い。用というのは少しばかり人生に迷ってしまってね」
「ではお帰りはあちらですね?」
「三途の川があっちにあるのかい?」
「いえいえ。地獄までの一方通行です」
「片道切符もくれなさそうだね……」
 ぐだぐだと話ながら二人で階段を登る。案外長いし息も少し切れてくる。彼女の方は息も切れていないのだから大したものだ。やはり鍛え方の差なのだろうか。
 半分幽霊だと体力が要らないのか付き難いのかわからなさそうだが。
 ……はて。何故僕はこの階段を登っているのだろう。
 確かに階段の上から下を見るとそれはそれで絶景だ。横にある木々も手入れがされているらしく綺麗に整っている。
 当初の目的を考えればこういう光景を見るのは悪くない。帰りにこの道を歩いて戻る事を考えると途端に嫌気がさしてくるがそういう事も楽しめるだろう。
 ああ、何も問題はなかった。丁度白玉楼を見てみたいとも思っていたんだ。
「後で道まで案内するので好きにしていてください。私はこれから夕ご飯を作ってきますので。いりませんよね?」
「別にそこまで厚かましくする気はないよ」
「食べていくのは余りお勧めしないですしね」
 一応、冥界の食べ物だからなのだろう。気遣いはわかるのだが、言葉遣いはもう少し正しくしてもいいんではないだろうか。
 別に言う程ではないか。そこら辺は人付き合いを学んでいけば自然と覚えるだろう。霊夢や魔理沙も来る事が多いはずだ。
 何か問題が起きても僕の知った事ではない。
 縁側に座っている主人と軽く話し庭を軽く見て回る。香霖堂の周りももう少し見栄えを良くするべきだろうか。こういう庭があれば酒も一段と美味くなりそうだしいつか彼女に頼んでみるとしよう。
 その時には正式に依頼としてになるだろうが。
 庭を散策して、ようやく目的の大樹を見つけられた。ここに来たのならば噂のこれを見なければならないだろう。
 咲かない桜。西行妖。
 前はここの主がこの桜を咲かそうと春を集めていたのだが、今年はそれは起きないだろう。冥界だからではなく他の理由によって。
 理由は知らないしきっと僕にはわからない類に違いない。直感なのだがね。
 何も知らないからこそ僕はこの桜を見ていえる。
「桜花 春ひかれるる 年されど 全の心に あかれやはせぬ」
 誰も聞いていないからこそ言えるものだろう。特に、ここの主や主と付き合いが深い妖怪賢者などには未熟過ぎて聞かせたくもない。
 歌や句はそこまで得意ではないのだ。
「香霖堂さん。送っていきますよ」
 縁側で手を振る彼女へと向き直り、古くからある桜へ一瞥を向けて背を向ける。
 雪の褥で寝る桜はいつ誇るようになるのだろうか。


「やっぱり自宅が一番だ。しばらくは家から出るのも億劫だ」
 家に帰れば二匹の鼠がストーブをつけて寝ていた。本来なら叩き起こすなりしてもいいのだけれど今日は疲れたので明日にしよう。
 服を脱ぐのも面倒で朝敷いたままだった布団に倒れこむように横になる。
 小さく開いていた窓からは冷気と共にほのかな春の匂いがしてきたような気がする。
 そろそろ春が近いのだろうか。それならいい事だ。あの桜ほどではないが店の裏の桜は良く咲いてくれる。
 今年は一人で花見ではなく誰かを呼んで飲むのもいいかもしれないな。



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