×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


「お客様は神様なんじゃないの?」
「神様のお客様というだけだろう君は」
 疲れを息に乗せて吐く。その仕草と共に首を横に振る僕を麦色の髪を持つ神、洩矢・諏訪子は楽しげに眺めている。
 居心地悪くなり僕は誤魔化すように目の前に置いてある盤面を改めて見つめる。
 傍から見れば、少し奇異に見えるかもしれない。
 神と半妖の構図。
 に、ではなく。単純にカウンターの上で将棋を行っている少女と青年、という構図にだ。
 盤面を見ればわかる者はわかるだろう。実力が拮抗しているということに。
 互いに押せず、また押されず。少しでも気を抜けば次の手が致命傷になるだろう局面。
「接待とかしないんだねぇ」
 パチッと小気味良い音を鳴らしながら彼女が苦笑するのを伏せている顔から目だけで確認して歩の駒へ触れて前へと進める。
「君にするぐらいならまだ紅魔館の者にするさ。そもそも君は、お客様ですらないんだから」
 自分では鋭く睨んだつもりなのだが彼女は子供の背伸びを見るような慈悲深さすら感じさせる顔で笑みを浮かべた。
 いや違う。彼女が笑みを浮かべたのは僕の仕草ではない。
 駒から指を離した瞬間に彼女はすでに笑みを浮かべていた。となれば、僕は二重の意味で間違えたという事になる。
「この私にそれは甘いかな〜」
 軽い口調で彼女が駒を打つ。
 パチン、という音が響き僕の心臓が早鐘を打った。
 静かな外に比べて、店内の騒々しさはなんだというのだろう。
「五月蝿そうなのは頭の中だけだと思うけどなぁ」
 君の言葉も今の僕には十分煩わしい、と口に出しては言わないでおこう。
 待ったはなし。悪手を打った以上この挽回は非常に難しいだろう。
 粘りはしたとしても、最悪残り十五手には敗北する。逆転を望めるとするならば悪戯気な表情を浮かべている彼女のミスだけだがそれを望むぐらいならば異変が今起きる方が高いだろう。
「僕の負けだ」
「はい。これで私の七勝だね」
「これで二勝七敗か。……二勝出来たことが奇跡とも思えるね。まぁ、あれは僕の実力だったと思っておくとしよう」
 駒をじゃらじゃらと音をたてながら片付ける。
 最初の一勝はともかく、二勝目は確実に僕の実力だと思っておく。盤外の事に気を逸らせて勝てる相手、と思われたくないという自尊心から来る事なのだが。
 彼女はへらりと相貌を崩しながらお茶を飲み干し僕へと湯のみを渡してくる。
 受け取った湯のみは温かみを失っていて長い時間が経っていた事を思い出させる。示された通りに立ち上がり、ついでに僕の分も汲もう。
「君の風車は強いからね。私は攻めにくくて大変だよ〜」
 背中で聞きながら僕はお茶を沸かす。もう少し沸かすのに便利な物があればいいのだが。
「よく言うよ、振り飛車党」
「残念。私はオールラウンダーでーす」
「僕も好むのが風車というだけだ」
「へぇ。それじゃあ私が作り出した諏訪システムは使える?」
「ははは。それに対抗する森近定跡が完成したから次こそは負けないさ」
 不毛な言い争いをしながらお茶を入れた。霊夢ほど美味くする事は出来ないが彼女の好みの熱さは解っているから問題ないだろう。ただ僕の好みは熱い方だから彼女の好みは関係ないんだが。
「お茶菓子は持ってきたからいらないよー」
「ああわかった」
 お茶を彼女と僕の前に置き、持ってきて貰った水羊羹が更に置かれた。うん、この組み合わせは悪くないな。
 けれどこうしていると老人になったようだ。精神的によくないな。油断するといつ老いてもおかしくない。
「ふぅ。梅雨も終わったしそろそろ夏だねぇ」
 お茶に恐る恐る舌を出す諏訪子が案の定熱さに負けて顔を顰める。僕はゆっくりと飲み込み水羊羹を掬い取る。美味しいね。
「そういえばこの店の裏に西瓜育ててなかったっけ」
 鼻が利くというか目が届いているというか。
「それじゃあ魔理沙が来た時にでも食べようかな」
「私が居なくても食べるんでしょ」
「僕の西瓜なんだ。どうしようと勝手だろう」
 入り口にある風鈴が音を鳴らすのを耳にしながら、彼女を横目で見て思い返す。
 僕こと森近・霖之助と彼女、洩矢・諏訪子が将棋を打っている理由を。
 何故、彼女が親しげにこの店へ入り浸っているのかを。
  

将棋を一局


 無縁塚から帰る途中で雨が降り始めた。梅雨だからだろう。じっとりと湿った空気に肌寒い風。あまり好ましいものじゃないな。
 髪や顔に張り付き服は冷たく重い。拾ってきた道具にシートをかぶせているため濡れてはいないが。
「傘を持っていかなかったのは失敗だったか」
 雨に濡れても僕が風邪を引くのは滅多にないためだ。そもそも濡れる事態というものが滅多にあるものではないから油断していた。
 帰ったらシートの中にある道具と店の道具もよく点検をしておこう。濡れて壊れる物もあるし、何より最近の湿気でかびてしまうかもしれない。
 この季節で厄介なのは、じめじめとした時期にはキノコが繁殖しやすい事だろう。どこぞの白黒ネズミはキノコをとるのに夢中で雨に濡れてしまい僕の店へ勝手に入ってくるのだ。
「居るだけならまだしも」
 勝手に物を持っていかれた日にはたまらない。
 考えながら雨が肌を走る感覚を無視していたのだがそろそろそれも限界だ。だがまぁ別に構わないだろう。店もすぐそこだ。
 店の前まで来て鍵を開けようとして気づく。
「さてどっちのネズミだろうか」
 白黒かそれとも紅白か。
 奥の方へと目を凝らし、長い黒髪が一瞬だけ見えた。これで帽子だったらまだ期待も出来るんだが。 
「霊夢。タオルをとってくれないか」
 魔理沙だったら用意ぐらいはしてくれただろうか。いや、やはり彼女の場合も怪しいものか。
 出かける前までやっていた詰め将棋が元のままなのを確認し、店の奥からのんびりと歩いてきた彼女、博麗・霊夢からタオルを受け取った。
「タオルぐらいは別にいいけど食材は沢山種類を置いておきなさいよ」
 無茶を言ってくれる。今日誰か来るなんて思えるはずがないだろうに。それに何よりもこの季節だと腐るのも早いから置いておくわけにもいかない。
「一応聞くが、何をしているのかな」
「何って、見ればわかるじゃない」
 タオルで濡れた身体を申し訳程度に拭いながら霊夢を見る。
 口元に煎餅のカスがついており、タオルを持っていない手にはお茶。頬はほんのり上気しており服は清潔感がにじみ出ている。洗ったとは考えにくいので昨日縫っておいた物だろう。
「風呂に入り休憩中、というところかい。お茶はもちろん一番良いものなんだろうね」
「適当に持ってきただけよ。それよりお茶請けに黴生えてるのあったから全部捨てたわよ?」
 残念だがそれらを入れている棚は昨日整理したばかりだ。彼女も口元にカスを付けているし、まさか本気で誤魔化そうとしているわけでもないな。
 言い訳ではなく、単純に僕の反応を面白がっているのかもしれない。
 そうこう話している間に服の濡れもある程度は拭えたので着替えを箪笥から取り出す。
 寝巻き……。というよりはいつもの服で良いだろう。何故か今日は眠れないような予感もする。
「あっ、霖之助さん。少しだけ待って」
 風呂場への戸を開けようとしたところで霊夢から待ったがかかった。なんだろうか。悪い予感でもするのだろうか。
 しかしこの服も着替えたいところなのだが、と少しの間逡巡した所でいきなり戸が開いた。
 僕よりも背は小さい、若葉色の髪をした少女。初めてみるな。この店にいるという事は霊夢の友達だろうか。いや、けれど人間の子が何故こんなところに?
 こう見えて妖怪、という事もありえない事ではないが。けれど妖怪というには雰囲気が明らかに違っている。
 僕の知る限りでは理解の範疇を超えたところに居る者が妖怪だ。表面上はともかくとしてだが。
「いいお湯でしたー。霊夢さんありがとうございます。神社の他にもこんな変なお店を持ってるんですね」
 僕の隣を素通りしてテーブルの前に座り我が物顔でその少女は煎餅を口に入れる。
 霊夢の物と似ている巫女服を見てその態度にも納得がいった。大人しそうな顔をしているのだが、うん。霊夢の友人はやはり霊夢の友人ということなのだろう。
「この店を霊夢に明け渡した覚えはないんだがね」
「え? へ? あ、え、だ、誰ですか霊夢さん! この変な人!」
 あたふたと慌てながら霊夢の顔を見る様子ではまるで常識人のような振る舞いなのだが。
 そもそも常識人がこの幻想卿に居るわけがない。居たとしてもそれは星空の中から流星一つを探し出し掴み取るような行いだろう。
「あら。早苗は霖之助さんに会うのは初めてだっけ?」
「こんな子に会った記憶は失っていないならばないはずだが」
「え、ええと。あの、えーと。ここ、霊夢さんのお店じゃないんですか!?」
 いや。もしや勘違いなのだろうか。ここに来るのが初めてで、霊夢が僕の店だと教えなかった事から生じた勘違い。
 ありえないな。
 常識で考えれば霊夢がこの店を管理しているという状況は考えられるはずもない。巫女が店を持つというのはどういう状況なのかもわからない。
「ああ。早苗は霖之助さんに会うの初めてだっけ。こちら霖之助さん。お茶くれたり服を無料で直してくれるわ」
「え、そんないい人なんですか?」
「ははは。霊夢、お茶と服はツケだよ? さて、初めまして。僕は森近・霖之助という。この店の店主だ」
 どんな人間にも挨拶は丁寧に行っておくことは重要だろう。
 僕の挨拶に彼女も慌てながら頭を下げる。……やはり常識人なのだろうか。
「あ、はい。東風谷・早苗と申します! あ、あの、えと、すみませんでした!」
 顔を赤くしながら何度も頭を下げるのを見るとまるで僕が悪く思えてくる。ふむ。まぁ、今回に関しては目くじらを立てる程でもあるまい。
「別に謝る必要なんてないわよ」
「霊夢は東風谷さんを見習った方がいいと思うんだけどね。さて、僕は風呂に入る」
 脱衣場に入り、ドアを閉める。
 先ほどまで彼女たちが入っていたのだからお湯はまだ温かいだろうか。僕が快適に入れるように広くはしてあるのだが、もしかすると彼女たちには広すぎたかもしれないな。
 僕にはあまり関係ない事だが。
 服を完全に脱ぎ終わりタオルを持って中に入る。
 木造の風呂。この季節は黴が生えるので少しばかり注意しないといけないな。
 考えながら頭を洗い身体を拭う。身体を洗うというのは禊に似ている。汚れ、穢れを払う。そして清潔な状態にしてから湯船に入る。
 そういえば、里では早風呂をする男性が多く、長風呂をする女性が多いと聞く。
 僕としては男性も長く風呂に入ることを薦めたいところだ。
 風呂は疲れを癒してくれる。そもそも水というのは母なる海が根源だ。人の身体、それは僕のような人妖も含めて、その体内に存在するのは血液である。
 血液は生命であり、流動する。この血液というは水ではないが、その根源は水である。水は身であり、視。水は全てへと通じることが可能だからこそこの世の全てを見通せる触媒になりえる。
 何故通じるのかは先にも述べた通り僕たちの身体も水という存在で形作られているためである。
 血液とは母たる海を感じさせる場所であり、子が胎盤の中で育つ場合、母の温もりを得られる場所でもある。
 妖怪は種によって違うが、ほぼ全ての生命は母の温もりと共に産まれゆく。
 故に、水は血に通じ、血は水に通じる。そして全ての記憶は水へと還りその記憶を母へ預ける。肉体はこうして無に還り、魂は輪廻の流れに乗る。
 三途の川がその良い例ではないだろうか。流れる水。母は全てを受け入れ赦す。
 罪も記憶もなにもかもを。
 故に、人が風呂に漬かるというのは母親の温もりを抱き、その身にたまった疲労を、生きるのに必要な罪を受け入れてくるものだ。
 だからこそ風呂は心が落ちつき疲労を抜き去ってくれる。
 だが早く上がってしまってはその効能もあまり効きはしない。
 女性が長く風呂へ入るのはそれを本能で知っており、男が早く済ませてしまうのは男がいつまでも母へ抱かれているだけの存在ではないということなのだろう。
 外国では風呂という習慣はなく洗い流すだけで終わるらしいが、それもまた罪を、疲労を洗い流すということからきているのだろう。
 だからこそ長く入るというのは悪いことではない。それどころか良いことだ。
 ただ長く入りすぎてしまうと全てを母に奪われてしまう。
 優しさ故に。
「何事も適度にしなければいけないということだろうな」
 それなりにまとまった思考に結論を付けて風呂から上がる。
 思考はあんがい長かっただろう。だが身体の疲労は考えた過程の通りになくなっている。そう錯覚しているだけなのかもしれないが。
 だが事実ないのだから、間違ってはいないだろう。
 いつもの服に着替えてから脱衣場を出てからすぐに居間の方へと足を向ける。
「……しかし、まだ居たのか」
「ご飯、あるもので作ったわよ」
「頂いています」
 動じず食べている霊夢と、頭を下げてきた東風谷さん。……霊夢はこちらに慣れているのだから当たり前の反応か。
 当たり前だが普通は初対面の者を前にしてくつろげるわけがない。霊夢に限っては相手が誰だろうと関係ないような気もするがね。
「しかしこんな雨だと帰るのが大変そうだね」
 外で降っている雨は未だ止まない。出ることを考えると、少しばかり気が沈む。僕ならば絶対に出ないだろう。僕がそう考えるならば霊夢もまた同じ考えだろうね。
「そうねぇ。止まなきゃ泊まっていくわ。早苗は……。まぁ迎えに来る奴がいるでしょうけど」
 僕としては帰ってもらっても一向に構いやしないんだが、仕方ないか。
 しかし、東風谷さんの迎えか。巫女服を妙に着慣れているようだし、神社の巫女でもやっているのだろう。いやけれど幻想郷に他の神社なんか在っただろうか。
 記憶の中にはなかったはずだが……。
 いや。そうか。
「君が山の上に越してきた子か。天狗や河童から少し話しを聞いているよ」
 ようやく思い出すことができた。
 そもそも思い出そうとすらしなかったのも当然。面識もなく、新聞や噂話を小耳に挟んだことしかないのだから。
 だが、妙に常識的な態度などは頷ける。幻想卿に染まっていないのだろう。
 僕としてはこのままで居て欲しいところだが。顧客にならないならばどっちも構わないのが本音だけどね。
「あら霖之助さん痴呆にでもなったの? そう説明したじゃない」
「生憎とそんな説明を受けた記憶はないがね」
「言ったわよ。店に入る前に」
 嘯き霊夢はご飯を食べ終え手を合わせた。全く僕の居ない時じゃないか。生憎と時を遡ることができず、また遠くの場所の声も聞こえず、心も見透かせないのだから意味がない。
「え、えーと。はい。この度山の上に越してきた東風谷・早苗といいます。何かありましたらうちの神社をご利用ください」
「霖之助さんはうちの神社の数少ない参拝客よ?」
「神社に頼ることは余りないが霊夢に頼ることはあるね。そもそも、山の上に行くのは面倒だ」
 外に出るのは商品となるかもしれない物を探しに行く時だけでいい。
 他の場合はここで本でも読んでいる方がいい。自分の好きな事をしている時間以上の至福は存在しないのだ。
「しかし誰か迎えに来るのならば時間的にはそろそろのはずだね」
 夕食も終わる程の時間だ。僕としてもこの雨で来る客はいないと思うので次に来るのが彼女の……保護神なのだろう。
 ただ僕の想像では魔理沙が来る可能性もあるといえばあるのだが。
 雨が降ったのは夕刻、黄昏時に入る少し前なのだし。
 いやあまり想像をするのは意味がないか。
 大体の場合悪い事というものを予測すればそれは起きてしまう事がある。
 いやこれは正しくはないだろう。
 生物には自分にとって不都合な事を感知する力が存在する。
 俗に虫の知らせなどと呼ばれるものだ。
 それが勘や予測という形で表に出ているに過ぎない。まったく、悪い事だけは良く当たるのはどうにもよいものではないけれどね。
「あ、あのー」
「自分の中だけで完結してるんだし、放っておいていいわよ」
「一応言っておくが僕はいつも自分の考えを話すわけではないよ」
 これでも常識はわきまえているつもりだ。それが他人の常識と合わなかった場合は僕の知ったことではない。
「すみませんー。うちの子が来てると思うんだけどいるかな?」
 幼い声が聞こえて、僕は東風谷さんに視線を向ける。
 声の主が東風谷さんの待ち人だろうと思っていた僕の予想は、おそらく当たりだ。
 何故おそらくなのか、というと彼女の顔を見ればわかるだろう。
「なんでそんなに驚いた顔をしているのかな?」
「え、いえ。すみません。神奈子様が来るのかなと思っていたので」
 戸惑うようにしながら早苗さんは立ち上がり入り口へと小走りに向かう。
「おーい、早苗ー、居るー? 変なことされてないー?」
「されていません! あ、す、すみません」
 申し訳なさそうに頭を下げる東風谷さんに手を振り苦笑を返す。どうやら彼女も苦労をしているようだ。
 僕は立ち上がり彼女を見送るために入り口へ歩く。すると、見えた。
 二つの目がついた妙な帽子が。
「………………」  蛙を模した、とでも言えばいいのだろうか。そんな帽子を被る少女を訝しげに見つめる。
 やけに濡れているのは傘もささずにここまで来たのだろうか。いやそもそもどうやってここまで来たのだろうか。
 連絡手段もないだろうし、霊夢がここに来たのは雨が降った際に一番近くだったからだろう。初めからここに来る事が目的ではなかったはずだ。
 ……ふむ。考えてもわからないなら理由は必要ないか。
 そもそも神様なのだからそこに理由はいらないのかもしれない。
 考えていたらその少女が不思議そうに首を傾げ、いつの間にか後ろに立っていた霊夢の顔を見て更に首を傾げながら問いかけてくる。
「どうも初めまして。えーと、霊夢のヒモさん?」
 ……? 神様の用語だろうか。それとも外の世界で通用する言葉だろうか。
「いや僕は霊夢を縛った覚えはないが……? ともあれ、初めまして。香霖堂店主の森近・霖之助だ」
「こちらこそ初めまして。洩矢・諏訪子といいます。神様です。どうぞよろしくね」
 僕と洩矢さんは互いに頭を下げあう。
 これでよい顧客になってくれれば良いのだが、そこまで望むことはできないだろう。ただ記憶の中でこういう店があるというだけで十分だ。
「わっ、諏訪子様傘とか持ってこなかったんですか?」
 僕と彼女の挨拶が終わるのを待っていたのか焦りながら東風谷さんが洩矢さんに駆け寄り身体を拭いていく。
 されるがままに任せながら洩矢さんが店内をきょろきょろと見回し、一つの場所で視線を留めた。
 何か嫌な予感がする。先ほどの魔理沙の事は冗談だったのだが今度は確かな悪寒が。
「それじゃあ傘は僕が貸そう。これ以上遅くなっても危ないだろうからね。そこらの妖怪や妖獣程度ならなんてことも――」
「将棋、霖之助くんもやるんだ」
 言葉を途中で遮り、やけに目を輝かせながら洩矢さんが将棋盤を指差した。
「あ、ああ。嗜む程度だがね」
 当たり前だが軍神と将棋を指して負けるような趣味は持っていない。
 持ってはいないの、だが。
「……うん。じゃあお風呂借りるね〜。少し長くなりそうだし」
 少しの間僕を見つめていた洩矢さんが何かを理解したように頷いた。
「それはいったいどういう意味なんだい?」
「もちろん将棋の勝負をしようか、って事だよ?」
 洩矢さんの笑顔に僕は頬が思わず引きつってしまった。
 いったい、この少女は何を言っているんだ。そんなものは先の見えていることだというのに。

 将棋を始めてゆうに一刻は過ぎていただろう。
 霊夢と東風谷さんは最初こそ見ていたもののすぐに止めて僕の店にある本を読み始めていた。
 と、いうのは終わってから本がちゃぶ台の上に置いてあったのでわかったことなのだが。
 将棋を打っている間、僕は目の前の盤面にだけ集中していたから、実際はよくわからない。
 気を抜く事はなく歩を盤の上で進ませ、また洩矢さんは数秒だけ考えて定跡と呼べる手を打つ。 
 僕は新風車を組み立てながら相手の攻めを待ち受ける。軍神を相手にこの手が通じるかと言うよりはこの手を好きなのだから仕方がない。
 彼女は振り飛車党だったようで、左翼から僕を追い詰め。僕はどうにか奪った角を用いて互いに気を抜けば負けるという盤面にまで仕立てあげ。
 それからじりじりと削りとられ、削りとり。
「あっ。うーん。負けました」
 一手打った後に何かに気づいた顔をして彼女はその言葉と溜息を吐き、ようやく僕も気を抜く事ができた。
 彼女が全力だったかはわからない。だが僕は全身全霊を尽くした。そして見事、というには無様な盤面だがようやく打ち勝てた。
 盤上の勝負とはいえ、かの軍神に。
「疲れた。しばらく将棋はこりごりだよ。こんな密度の濃い一局は滅多に打ちたくない」
 眼鏡をはずして目頭を抑え、肩や首を回す。
 精神的に酷く疲労した。肉体的にも同じ体勢だったので疲れた。
「んー。私だったら、諏訪子の手にはこう返してたね」
「いやー。その手になることはないと思ってこう打ったんだよ。そうなると思ったら、こう打ってたかな」
 僕の後ろからいきなり手が伸びて女性の声がした。振り向くと、注連縄を背負った竜胆ような色の髪を持つ女性が楽しげな目で盤面の動きを再現していく。
「早苗はどう思う?」
「そうですね。こ、こうでしょうか?」
「それは駄目な気がするわね。勘だけど」
 何故か反省会のようなものが行われ始めた。だが霊夢。君は駄目だ。と口に出してはいえない。
 霊夢の場合は勘だけで将棋を進めるから攻めにくいんだよなぁ。
 どこを攻めても悪い予感しかさせないぐらいの守りを作らないと勝てない。下手に気を抜くと勘だけで崩されるんだ。
 彼女を相手に風車は良い練習にはなるが。
 僕を蚊帳の外にして騒いでいる四人を見ながら、知らない神仏の予測は付けることが出来る。
「君が八坂・神奈子さんか」
「そうだね。よく知ってるじゃないか。いや、面白いものを見させてもらったよ」
 大笑いをしながら肩をばんばん叩かれた。何故だか攻撃されたような気分になる。
 あまり貧弱というわけでもないのだが、彼女の叩く力が強すぎるのだろうか。
「はぁ。どうせ風呂も勝手に借りたんだろう」
「何、貸されてやったのさ」
 妙に上機嫌になりながら彼女は笑い僕は溜息を吐く。
 これ以上何かを言うのも面倒くさい。どうせ彼女たちはここに泊まっていくつもりなのだろう。
 布団は勝手に敷いてもらえばいいだろうし、僕はどこだって眠れるし眠らずとも生きられる。
「それじゃあおやすみ霖之助さん」
「では同じくおやすみなさいです」
 先ほどの一戦のおかげですでに気力も体力も根こそぎ奪われている。
 追い出す気は全く湧いてこない。 
 三人が他の部屋に行くのを見送り手近な本を開いたところでおかしい事に気づく。
「……なんで君はまだそこに座っているんだい」
「もう一局打つために決まってるよ」
 それは勘弁してほしい。さすがに寝なくても問題ないとはいえ疲労は溜まる。
 風呂へ洗い流したとはいえ一刻でこんなに溜まるのは精神的にも肉体的にも良くない。
「やるならせめて明日明後日にしてくれ。さすがに一日で二局も打ちたくない」
「むー。勝ち逃げする気?」
 一目でわかる程に不満気な顔で彼女が僕に迫ってくる。
 これは、困った。通常の手段では今の状態を回避できないだろう。
 さて、どうすればいいだろうか。とはいえ僕が考え付く提案はあまり多くないのだが。
「そうだね。それじゃあ勝ち逃げしないためのルールを決めよう」
「どんなの?」
「ああ、負けた方が勝った方の言う事を聞かなければならない。だから今回の場合は僕の言う事を聞いてくれればいいよ」
 さてこれでどうでるだろうか。
 受ける事は受けるだろうがしかし、これは諸刃の剣。上手く言うのなら利益と不利益の割りが合わない事だ。
 だが今を凌ぐ事は出来る。逆に言うならば今しか凌げない事だが。まあ今後僕が勝つ可能性は零じゃないんだ。
 一つぐらいは僕に利益があってもいいだろう。
「それでどんな用件なの? あ、神奈子の注連縄とかはちょっと私でも無理かなぁ」
「あれは僕もさすがに……。凄いんだろうが欲しがる人はいないだろう」
 興味はあるが欲しくはない。全く。本人の居ない所で酷い言い草だね。
 寝てるかどうかわからないが聞こえていたら。ふむ。それ以上は想像したくもない。
「とりあえず何か珍しい物、価値のある物でも持ってきてくれないか? 一応言っておくが生物は除外だ」
「モノなのに?」
「者だからさ」
 それに者だけなら沢山店に来る。客ではないのが困り所だがね。
「んー。それじゃあ、私が勝ったら……。その時に決めようかな」
 納得してくれたようで彼女は早足に部屋へと向かっていった。
「はぁ」
 妙な約束をしてしまったものだ。だが珍しい物、特にこの幻想卿でそんな物はすぐに見つかるわけもないだろう。
 外から来たというのなら外の物があるかもしれないが。そこは上手くはぐらかせばいいか。
「しかし、何故だろうね」
 彼女の姿を見て、見知らぬ女性を想起するのは。
 誰かに似ているように見えるのだが、しかし僕の記憶に存在する誰とも似ていない。
「わからない事はそれ以上考えなくてもいいか」
 益体のない話だ。
 例え誰だろうと意味はない。
 彼女は彼女でありそれ以外の事はないのだから。
 

「ん? あぁ、遅かったね。おはよう」
「すみません、おはようございます」
 朝ごはんの匂いにでも釣られてきた、にしては格好も整えている。まぁ霊夢よりかはマシだろう。
「ふわぁ。おはよう早苗。あ、皿並べて」
 すでに台所では霊夢が朝ごはんを作り始めており、僕の方も米を炊き終えてきたところだ。
 しかし、二人の格好を見比べるとよくわかるが……。霊夢はどうにもだらしない。神社にいるような気分なのだろうか。
「あーうー。早苗ー。朝ごはんなにー?」
「んー。よく寝た。というか早苗じゃなくて霊夢か香霖堂の旦那じゃないかい?」
 更につられて起きてきたのは、霊夢と早苗のように対照的な二人。
 だらしのない格好の洩矢さんと、きっちりとした八坂さん。育ての親だろうに、何故だろう。ここまでの差異が生まれてしまうのは。
「えっと。森近さん、何かお手伝いは?」
「ああ、皿を並べてくれ。箸は黒と青以外なら何でもいい。皿はそこらへんにおいてあるから……ああ、河童の皿じゃないから安心してくれ」
「河童の皿だなんて思いませんよ!?」
「おや、魔理沙は最初そうだと思っていたんだが」
 赤色の箸はすでに霊夢が自分の定位置に並べているからね。
 この家に箸があるのは、暇つぶしとして、また来客があった時のために何個か作っておいたからだ。暇を潰す手段というのは案外に多いのだ。
 問題は滅多に使われることがないことか。たまに九十九神対策として売ってはいるのだが、作らなくなった今でもまだ多くの量が存在している。
 この箸たちも彼女らに使われることで少しは怒りを和らげてくれるといいのだが。
「はい、料理置いて。ああ、これ昨日作ったものだからまだ食べられるわよね」
「君がいると何もやらなくてもいいから楽だよ」
「ええありがとう。でも霖之助さんの料理も久しぶりに食べてみたいものね」
 朝から霊夢も調子がいいものだね。……本来なら僕は朝ごはんを食べる必要もないわけだが。
「え、森近さんも料理作れるんですか?」
「ああ。趣味の一貫でね」
 食べる必要もないが、それでは人生が味気ないものになる。必要はないが、必要としたいといったところか。
「気をつけなよ早苗。料理の上手い男に禄な奴はいないって言うよ」
「何に気をつけるっていうんだ」
 わけがわからない。いや、神様の考えなんて理解することは出来ないだろう。
「森近くんは駄目そうだけどね〜」
 ちゃぶ台の上に突っ伏している洩矢さんが楽しげに言うのを聞き、少しだけ眉を顰める。
 別に怒っているわけじゃないが昨日会ったばかりの者にそんな事を言われて何も感じない者はいないはずだ。居るとすれば余程の賢人だろうね。まぁそんな事を思っているとしても僕はこれでも温厚な方だ。
「君は辛いのは苦手かな」 
「甘い方が好きかな〜」
 なら料理を置く際に唐辛子をまぶしてあげよう。料理を残すような真似はしないだろう。
 ……しかしよく考えれば僕がぶぶ漬けでも作って出せば良かったんじゃないだろうか。
 まぁありがたく頂くような面子ばかりだが。
「はい、早苗、霖之助さん。早く置いてよ」
 適当によそわれた味噌汁を僕らに渡しながら霊夢が不機嫌そうな顔をしていた。
 おそらく熱いのだろう。
 あまり触りたくないが、僕はそれを受け取ってすぐさま卓袱台の上に置く。少し触ってわかるが、本当に熱い。
 こればかりは外の世界も幻想卿も変わらないだろうね。
「それじゃあ霖之助さんもご飯よそってくれたし食べましょうか」
 僕ら三人が準備をして、神様二人がご飯を食べる。本に書いてあった外の世界の縮図に見えるのは何故だろうか。
 一番大きい皿に盛られた目玉焼きを卓袱台の中心に置き、次に野菜を置いていく。
 昨日霊夢が作った煮っ転がしも冷たいがそのまま置く。冷奴を更に置かれるが今から酒でも飲むつもりなのか霊夢は。
「あ、霖之助さんあれお願い」
「ああ」
 最後に煮干を置き、牛乳は……あまり量もないからやめておこう。
 白米の匂いが鼻腔をくすぐり、朝の空腹を刺激する。のだろう。だが傍目から見ても十分に美味しそうに見える。
 贔屓目とかは始めからない。
「準備も終わったし食べましょうか。頂きます」
「いただきます」
 食事時の空間は、どこか居心地が悪かった。
 何故だろうか。いつも霊夢や魔理沙が居る時と人数的には、あまり変わらないはずなのだが。
「神奈子ー。しょうゆー」
「はいはい」
「あ、諏訪子様! 醤油こぼさないでくださいね?」
 食事時に、こうも他人と呼べる人がいるからだろうか。
 気心の知れた仲ではない者。
 だが。
 そんな彼女らの雰囲気は嫌いではない。
 僕がその中に入るとなると別なのだろうが。


 あれから四日、というとわかりにくいだろうか。
 正確には僕が洩矢さんに将棋で勝ってから四日だ。
 更に言えば僕が洩矢さんに負けてから二日目。
 もっと言えば二敗してから次の日。僕の敗北が決まっている日と言い換えてもいいだろう。
「どうも森近くん。今日もやろうか」
 そんな事を考えている内に彼女が来た。この間のように珍しい物も持っていない。これは僕が負けたからだが仕方がないだろう。
 次勝てた時は彼女との将棋を止めることを願ってもいいかもしれない。それよりも早く彼女が飽きる事の方が早いかもしれないが。
「僕はあまりやりたくないんだがね。それに、どうせやるなら八坂さんとやった方がいいんじゃないかい。彼女の方が打っていて楽しいんじゃないかな」
 軍神対軍神の将棋だ。本当の戦いは一回しかできないが空想上の戦いなら幾度だって行うことができる。
「神奈子とはなー。結構やっちゃってるんだよね。お互いがどういう手で攻めるのか考えなくてもわかるから、もう先の読み合いって感じかな。こういう状況だったらこう打つから、ならそういう状況にするには、になっちゃうの。楽しいけど凄い疲れるんだよね」
 ならば僕は程よい格下の相手なのだろう。
 三戦一勝二敗という僕の戦績がそれを示している。
 初見ですら僕の勝ちが僕の実力だったのか疑わしいところだ。
 初戦にわざと負ける事で相手の戦意を高め、まぁこれは僕を相手にしている時点でないのだが、二戦目で出鼻を挫き三戦目で息の音と止めるという戦略だったのかもしれない。
 将棋でよかったとは思う。実際の戦いだったら僕は調子に乗って攻め入る可能性もあっただろう。そういう事態になる事が皆無であり絶無ではあるんだが。
「はぁ。しかし君も暇人だね。他の所……。例えば紅魔館にでも行ってきたらどうだい? 将棋はできないかもしれないがチェスの方は指し手が多いだろう」
「あのメイドがいるのに?」
 あのメイドとは、僕の知っている限りにおいてメイドと単語で示される人物は十六夜・咲夜その人に他ならない。
 つい先日も彼女が店に来たのだ。その時はしばらく観戦し買い物をしていっただけだ。ただ去り際に「詰めが甘いですね。性格なので変えられないのでしょうが」と笑いながら言われた。
 どういうことだろうか。まぁ、よく観察をしていると嘆息しか出なかったのだが。
「所詮は遊戯さ。彼女も本気を出してまでやることはないだろう」
 なんとなくあの館には『やるからには全力でやれ』という標語があるような気はするが。ばれないイカサマはイカサマにならないだろうから構わないのかもしれない。
「あはは。でも私は森近くんと打ってる方が楽しいからいいんだけど?」
「……それは光栄だ。なんなら打つついでに何か買っていってもいいが」
「やだよー」
 神様のお客なんて我侭なものにしかならない。最も神という種は概ね自由気ままなものが多いのだが。
 全く。知らない相手と打ちたいというのなら僕よりも適任が居るだろう。八雲・紫やらその式やらが。
「お、珍しい顔だな。何かに憑かれでもしたのか?」
 まっ、もう神様に憑かれてるのかもしれないけど、と言いつつ現れた黒い鼠の方へ顔を向けると背中になにやら風呂敷を担いでいた。
「もうすでに疲れ過ぎる程に疲れているが。しかし最近来ないと思ったらガラクタ集めをしていたのか」
「おっと。私にとっては十分宝物だぜ」
 言いながら鼠、霧雨・魔理沙がカウンターの上に置いたのは一見して用途のわからない物ばかりだ。
 とはいえ僕ならば用途どころか名称も知ることができるがね。
「あ、じゃあ魔理沙ー。私と一局打たない? どうせ鑑定してる間は暇でしょ?」
「おう。どうせ香霖の鑑定は長いこと掛かるしな。へへ、将棋はパワーだぜ」
 どうやら仕事の邪魔をする気はないようだ。そこだけはさすが長く生きていると言えるだろう。
 見かけによらずと言ったらさすがの彼女も怒るかもしれないがね。なにせ、少女とはいえ女性に年齢を聞くのは失礼だ。魔理沙や霊夢は例外としてだが。
「んじゃ奥で茶でも飲みながら打とうぜ」
「そうだね。お茶菓子とかあるかな、森近くん」
「…………。戸棚の中に入っているよ」
 何故だろうか。彼女の言葉に威圧感というか、聞かなければいけない感覚を得てしまうのは。
 まぁこんな彼女でも神様なのだ。畏怖してしまうのは当たり前だろう。
「なるべく長く続けてみてくれよ、魔理沙」
「音速よりも遅く打てっていうのは難しいぜ?」
「なら洩矢さんがそれより遅く打ってくれるだろう」
 二人が店の奥に入っていく音を聞きながら僕は風呂敷から出された物を一つ一つ手に取り始める。
 道具ならば見た瞬間に名前がわかり、触れれば用途すらも探り当てる。見知らぬ物と知識を共有できる僕の能力は古道具屋という職業で天職を得ているだろう。
「それじゃあお願いします」
「おう。お願いされてやるぜ」
 ペンタブ。絵を描く筆。色なども出ないし文字もかけない。絵のみに特化されており、更に一線以上の絵心がなければ扱う事ができないのだろうか。
「お、そう来たか」
 電子辞書。情報を探し当てる物。情報を映し出すだろう箇所はすでに壊れている。
「んーと。それを動かすなら、こっちかなぁ」
 手動式ブロックアイススライサ。氷を砕く物。砕いて食べるのだろう。これは使えるだろう。氷をわざわざ買わなければならないのが面倒だが、氷の妖精でも捕まえてみるか。
「あー。んじゃこれでどうだ」
 ドレス。己を美しく魅せる服。破れてはいるが縫えばまだ使えるだろう。
「はいこれで王手」
 穴あけパンチ。紙に穴を開けるもの。本を作る際に穴を開けるのには使えるだろう。僕にはあまり縁がないものだが、製本をする場所も限られているんだよな。
「逃げるのは私の十八番だぜ」
 彼女たちの声を聞きながら僕は淡々と愛でながらがらくた、もとい商品を判別していく。
 中には全く使えない物や壊れている物もあるがそれは後で供養しておこう。
「簡単には逃がさないよ〜」
 今回は、おおよそ三割程度か。草薙剣のような物はさすがにないが魔理沙にしては良い物だろう。
 稀に使える物が一つもない時だってあるのだからね。
 勝手に持って行った物の中から少しはツケとなっている分を引いてもいいだろう。それでも雀の涙程度だが。
「よし、私の勝ち!」
「くっそ。いい線までいったんだけどなぁ」
 全てを鑑定し終えたところで向こうでも決着がついたようだ。
 ……しかし予想外だな。魔理沙が負ける事になるとは。あの子も僕と打っているから弱いというはずもなかったのだが。
 単純に相性が悪かったのだろうか。
 もしくは、僕の勝利は実力の結果なのだろうか? よく考えてもわからないが。
「お疲れ様。お茶ぐらいならば出すよ」
「子はいらないぜ? あ、お茶請けも一緒にな」
「私は今度こそ甘いものがいいな〜」
 煎餅あたりでいいだろう。生憎甘味を今は切らしているからね。
 二人の前に置いて僕はため息を吐きながら座る。どうせ今日もお客は来ないんだ。来るとしても精々霊夢あたりだろう。
「それで、どんな風に負けたんだい?」
 盤面を見ると完全に守りの型を築いた洩矢さんに攻め込もうとして返り討ちにあったという感じだろうか。
 そして捕った駒を張られて負けたのだろう。指し手として最高の相手が守りに専念すれば打ち崩すのは至難だ。
 崩すよりは作り上げる前に阻む事の方が現実的だろうか。
 とは言っても簡単には阻む事ができないのだが。魔理沙は、どうだろう。阻もうとしたのか。それとも正面から打ち崩そうとしたのだろうか。
 魔理沙の性格から考えれば正面から打ち破る目算だったとしても不思議ではないのだが。
「あー。これでこうしたから、こう負けたんだ」
「んーとね。ここでこうしてれば私はここまでは出来なかったよ?」
 終わった後の検討を行うを見ながら溜息を吐いた。このままこの流れで終わればいいのだがそうは問屋が卸すはずはない。
 洩矢さんは楽しげな瞳で、魔理沙は悪巧みをするような視線を僕に投げかける。
「んじゃ、次は」
「森近くんの番だね」
 何故僕は先の見える事をしなければならないのだろうか。

 結果は当たり前のように僕の負けだった。
 魔理沙とやった時よりは長くもった気はするのだが、持ち時間を決めておくといいかもしれないな。
 自由にするとどうしても長くなってしまう。限られた時間の中で考えるのもまた楽しいものだしね。
「あ、香霖漬物とってくれ」
 そして昼という事で今は二人に料理を作っていた。魔理沙に関してはもう何もいうまい。
「代わりにそれを取ってくれ」
「じゃあそれもくれよ」
 漬物と生姜を渡し僕は醤油を受けとる。洩矢さんは何故か僕らの姿を見ながら妙な笑みを浮かべているんだが何故だろう。
 まぁいい。わからない事をいつまでも考えるような事は僕の柄じゃない。
「森近くんって案外料理上手いよねー。女の子でも落とすの?」
「趣味だよ。それで今回も前と同じことを要求する、という事でいいね?」
「うんそれでいいよ」
 前回も前々回も、彼女は次もまた僕と勝負をする事と言いそれ以上は望まない。ただ一局打つだけでも精神的に疲労するので余りやりたくはないのだけれど。
 けれど負けは負けだ。それにたまには買い物もしてくれるのだからと思えば僕の精神的疲労とぎりぎりで釣り合いは取れているだろう。
「そうだ、魔理沙。里で親父さんはともかく、お母さんが心配していたよ。母にぐらいは顔を見せに行ってもいいんじゃないか?」
 たまたま里で会ったんだが、やはり彼女も大分歳を重ねていた。人間だから当然だろう。
「あー。まぁお袋になら会ってもいいかもしれないけどなぁ」
 どこか困ったような笑みを浮かべながら、頬を掻くのを見て会いに行くだろうと確信する。親父さんと会わない術ぐらいは心得ているだろうから、別に構わないのかもしれない。
「へー。魔理沙のお母さんって綺麗?」
 いきなり何を言ってくるんだこの神様は。
「そうだな。私は母さん似らしいぜ。つー事は、綺麗な私が居るんだからお袋も綺麗って事だな」
「魔理沙の言葉には少し言いたい事があるが、綺麗な女性だよ」
 今も昔も変わらずに。彼女の心は美しい。
 僕らのような妖怪と違い年月の流れを感じさせる姿ほど美しい者はない。
「へー。じゃあ森近くんのお母さんは?」
「それは私も気になるな」
 おっと。まさかこんな流れになるとは思わなかった。ただ、僕の母親、ねぇ。
「覚えてないんだよ。いつの間にか居なくなっていてね。恋多き妖怪だったらしいとは聞いているが。もう顔も思い出せないしね」
 思い返すとあの親はろくな親じゃなかったな。僕が産まれて少し経って父親が死んで。そして母親はどこかの坊さんに僕を託してどこかに去ってしまった、とは僕を育ててくれた恩人の言った事だ。
 案外あの坊さんが退治したんじゃないかと思っている。それでも構わないというか、あんな妖怪を捨てて置く方が問題だ。
 何せ、人妖製造機みたいな女だったと言うし。
「へー。妖怪だったんだ」
「お前が両親の話しをすんのは初めて聞いた気がするぜ」
 積極的に話すようなことでもないけれど、話したくないわけじゃない。
 ただ訊かれなかったから魔理沙には言う事がなかっただけだ。
「人に話すには恥ずかしい話だからいう事でもないだろう」
「そりゃそうだな。んじゃ、食後で花札でもやるか?」
「君らは弾幕ごっこでもしていればいいんじゃないか?」
 僕は少しぐらい静かに一人で居たい時もあるんだ。毎日毎日何かがあると疲れが溜まってしまう。
「それじゃあそうしようか? 魔理沙ー。外で待ってるねー」
「おう。んじゃ流れ弾が飛んできても文句言うなよ?」
「はいはい。なるべく飛んで来ないように気をつけてくれよ」
 二人が出て行くのを見送り、先ほどの会話であった母についてなんとなく思い出そうとしてみるが、やはり思い出す事はできない。
 母に何かをしてもらった記憶もないし父に何かをしてもらった記憶もない。あの坊さんは確かに色々な場所をつれまわしてくれたが町で見世物にされた事もあると思い返せば碌な人間でもなかったな。
 アレのおかげで僕は人間とは違うと理解できたのだからありがたいと言えばありがたい事だったのだが。
 深い考えはなく路銀を稼ぐためにやっていたのは確かだろう。
「……僕の周りは禄でもない奴しか居ないかもなぁ」
 昔と比べればまだマシな方か。物を盗まれるだけで自身に害があるわけじゃない。
「さて。彼女らがやっている間に……」
 何をしようかと思って目に付いたのは将棋だった。やれやれ。彼女に対抗するために少しぐらい研究をしておこう。
 何しろ勝てないならこのまま何度も負け続ける事になってしまう。一介の指し手として負け続けるのは精神衛生の面で悪いし次こそは勝てるように頑張ってみようか。


 今日も雨が降っていた。彼女との一局もいい加減に慣れてきたもので、大体の手筋は読めるようになっている。
 今回は詰める事が出きると思ったんだが、相手に角と銀、そして歩が三枚あった事が致命的だったか。
「惜しいね。飛車で角を取っていればまだ良かったかもよ?」
「この盤面になる前にもう少し工夫しなければ僕の負けは揺るがないだろう。それに、待ち時間が違いすぎる」
 すでに時間一杯まで使ってしまっていた。やはり待ち時間をつけると僕は圧倒的に不利になってしまうな。
 早く終わって良くはあるしそれなりに白熱した物にはなったのだが。
「そうだ。東風谷さんや八坂さんは元気かな?」
「うん。最近は神奈子が早苗に将棋を教えてるんだよ。魔理沙とならいい勝負をするかもね?」
 ふむ。一応僕が彼女に将棋の打ち方を教えたから魔理沙は僕の弟子と呼べるかもしれない。
 なら魔理沙と東風谷さんの勝負は僕と八坂さんの教える側としてどちらが上になるかの勝負になるかもしれないのか。
 それはそれで楽しみではあるが、あの二人なら弾幕でやる方が自然だろう。
「へぇ。椛くんと打つのもいいかもね。彼女は中々強いよ」
「あー。あの子とも打った事あるけど手ごわいよね。森近くんとどっちが強いの?」
 前に一度打った時には僕の辛勝だったが今はどうだろうか。棋士として例えるなら洩矢さんは名人だろうし、僕は七段、六段という所だろう。
 彼女は……僕よりもやや上か同格だろうか。
「今度、一局相手になってもらおうかな。行く気になったらだけれどね」
 事前に文くんにでも連絡を取って休日でも聞いておかないといけないからやや面倒なのだが。
 将棋に熱中する事は誰でもある。当時の僕がそうであり、今はその時の残り火が再燃しただけだ。
「打つなら私が幾らでも相手してあげるのに?」
「君とばかり打っていても負け続けるだけだろう」
 さて。今日の勝負は終わったから、何をしたものか。
「そうだ。魔理沙は僕とやる時は四枚落ちで丁度いいんだが、君の所の早苗さんはどうだい?」
「あー。神奈子と早苗がやる時は六枚落ちで、最近は上手くやってるみたいだよ」
 彼女と六枚落ちで渡り合えるなら魔理沙よりも上かもしれない。ただあの子が好むのは急戦であったり奇襲であったりするから良く研究をしていないとどうなる事やら。
 前提としてあの二人が将棋を指すか指さないかは依然としてあるのだけれど。それは置いてみると中々面白そうではあるな。
「成程ね」
「うんー。……あ、そうだ。聞きたい事があるんだけどいい?」
 やけに神妙な表情、にもならず彼女はのほほんとお茶を飲みながら僕の顔を見る。
 さて。どんな事を聞く気なのやら。
「別に構わないが。余り変な事は聞かないでくれよ」
「うん。あのさ。人に産まれてたら、とか。妖怪に産まれてたら、とか。そういう事を考えた事ある?」
 それは。完全に予想外の問いだった。
 今まで考えた事がないと言えば嘘になる。これでも人生は長く、それなりの不幸と呼べる事は体験をしてきた。
 人に産まれていればそんな事はなく普通の人生を暮らしていただろう。
 妖怪に産まれていれば妖怪として消えるか、生き続けて幻想郷に流れ着いて居ただろう。
 どちらにしても、それは本来の道から外れる事なく生きられたはずだ。
「昔は幾度も考え続けてきたよ。最近は、もう慣れているさ」
 そう。慣れたんだ。
 人ではなく妖怪でもないその性質に。
 良い所だけを見れば悪い一生だけを送るわけではない事に。
 僕は自身の生を肯定している。
「ふぅん。慣れる、かー。半分が人間だから?」
「僕が僕であるからという答えでは不服かな」
 僕でなければこの答えは出せないとまでは言わない。けれど人妖なんて種族は僕しか知らない。
 似た存在である妖夢は、主が居る上に産まれた理由も違ってくるので似て非なる者だ。
「さて。雨も止んできた。帰るには良い頃合じゃないか?」
 外を見ると雨は上がり虹も見えている。龍神様はご機嫌のようで何よりだ。いつか、一度くらいはお目にかかりたいが龍神様も忙しいだろうからそれも叶えられない話しだろうが。
「うん。そうしようかな。あ、そうだ。最後に」
 店から出ていこうとした所で、彼女は振り向いてもう一つ問いを投げる。
「君は今、幸せなんだよね?」
 一瞬だけ考えて、応えようとする間に彼女は出ていってしまった。
 何かあったのだろうか。心配というわけでもないけれど気にかかりはするな。だからと言ってどうにかしようとは思わないのだが。
「幸せどうかか」
 幸福を感じるのは心だ。そして、状況だ。
 状況を言ってしまうならば、僕は趣味の仕事をしている。自由に暮らしている。衣食住に不自由はない。友人も少なからず存在している。
 それだけで不幸でないのは確かだ。ただしそれは幸福の証明にはならない。
「難しい問いをしてくれたものだな」
「そう? 簡単だと思うけど」
「入ってくる時は一言ぐらい言って欲しいなぁ」
「言ったわよ。私の中で」
 口に出さないと意味がないだろう。
「それで、簡単とはどういう事だい?」
「ええ。私のお茶を飲める。それ以上の幸せなんてないじゃない」
「……僕としてはツケを払ってくれる方がよっぽど幸せになれるよ」
 いつかね、と言って霊夢はいつの間にかお茶を入れていた。ありがたい事だ。茶葉が僕の物でないならもっと良いのだけれどね。
「良い茶葉使ってるわね。これいつ仕入れたの?」
「この間、馴染みの店でね。高級品なんだ、余り使わないでくれ」
 普通に買おうと思えば桁が一つ違うぐらいには高いお茶なんだ。僕が入れた所でお茶の味は最大限に引き出せないだろうから、悔しい事に霊夢が入れる方がお茶としては本懐なんだろうが。
「ふーん。今度買いにいこうかしら」
「その前にツケを払ってくれないか」
 お茶の味は、僕もこれだけ入れるのが上手ければ人生もまた一味違うのだろうと思わせる味だった。
 

「今日も雨か。早く梅雨が明けてくれないものかな」
「私は梅雨が好きだな」
 ちりん、という音が響いて彼女が入ってくる。昨日、一昨日と来なかったと言うのに今日来るのか。
「いらっしゃい。……なんだい、その格好は」
 洩矢さんはいつもの服とは違い、着物だった。正装とでも称すのだろうか。いや、彼女の場合正装と言うなら戦装束の方がらしいだろうか。
「今日私が勝ったら将棋をやりに来るのはやめようかと思って。最後だし少しぐらい良い格好がいいでしょ?」
 微笑を携えて言う姿を見て、最初に言おうとしていた『まるで七五三みたいだね』という言葉は胸に仕舞っておく事にした。
 女流棋士と言う程ではないが、中々、様になっている。
「なら僕もそれなりの格好で相手をしよう。着替えるから少し待っていてくれ」
「じゃあ準備はしておくね」
 後ろで駒を置く音を聞きながら溜息を吐き、箪笥を開けた。着物は余り持っていないんだが、スーツというのも格好がつかないか。あまり着ていないから痛んでないといいんだが。
 今着ている物を脱ぎ着物に手を通す。これを着たのは確か新年に久しぶりに親父さんと会った時だったか。
 まだ元気だったけれどあの人はいつでも元気なのだろうか。案外あの人も妖怪の類なんじゃないだろうか。あの歳であの元気さは目を疑ってしまう。
「……うん。こんな物か」
 多少不恰好なのは、崩しとしてみてもらえればいいんだが。
 そう思い、いつもの場所に行き、一瞬見惚れた。
 恋愛などという、そういう感情ではなく。
 美しい者を見た時、人はその存在を目に焼き付けようとする。それが、今の僕に起こっていた。
「あ。お帰り。……どうしたの? 私に見惚れでもした〜?」
 口を開けばいつもの洩矢さんだった。
 ああ。全く、僕は疲れているのかもしれないな。
 彼女を一瞬でも、美しいと思ってしまった。
「寝言は寝てから言ってくれ。それじゃあ始めようか」
「うん。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
 互いに頭を下げ、戦いが始まる。

「…………」
「…………」
 駒を置く音がこの店に響く。一手一手がまるで強烈な拳のようだ。
 僕はそれに対して必死に食いつないでいる。この盤上から起死回生の一手を起こすためだけに。
 相手の陣は完全な守り。どうにかこうにか削りとってはいるがもしも一手間違えればそこに食いつかれてこちらの陣が荒らされる。
 彼女相手にするのに歩一枚でも持っていかれれば、どこで詰まされるかわからない。
 いつも以上に守りに入り、そしていつも以上な苛烈な戦術。
 盤上で揺さぶりをかけられるはずもない。
「そうだ。この間は妙な質問をやってきたが、答えは言うけどいいかな?」
「……言葉でぶらそうとしても無駄だと思うけど、いいよ」
 ありがたい。将棋の方も手を緩めずに話しを進めよう。
「今のところ、僕の幸せはまだわからない」
 角を進める。彼女の飛車にいつ取られるのか戦々恐々と言ったところだね。とは言っても彼女は何手も先を読んでいるだろうからこれを取る事による害ぐらい読んでいるだろう。
 もしもこの一見無防備な角を取ってしまえば、それで飛車と金は僕の手中に納まる。
「へぇ。何で?」
 やり難い所に打ってくる。角の動く位置に香車か。更にその先で狙うのは銀か。やり難い事この上ない。
「友は居るし、趣味も行える。けれど、僕は今までの人生が不幸せなことが多かったと思っている。だからまだ、もう少し生きれば幸せだと実感できるのだろうけど、まだもう少しだけ足りないと思っている」
 彼女は僕の言葉にも特に反応を見せる事なく冷静に打つ。僕も話しながら打つ手を休める事はない。
「ふぅん。でも、それだと幸せだって事だよね?」
「ああ。幸せという事になるね。けど、君が聞きたいのは僕の事じゃないだろ?」
 打つ手に迷いが出た。僕は気付いたことをなるべく見せないように打つ。
「君は、僕と少しだけ存在が似ている東風谷さんを考えているはずだ」
 彼女の桂を一つ、取る。これを取るだけで歩と香車を取られてしまった。ただ駒の配置は悪くない。
「あはは。早苗と森近君とじゃ全然違うよー。君みたいに偏屈じゃないしね〜」
 飛車を動かし僕の歩が取られた。彼女がこのままのペースでいけば、僕への王手まで後八手だろう。
「さて、それに関しては一言あるが。それはともかく、彼女は人としては不安定だと思うだろう。現人神なんて名で呼ばれているんだ。それは人である事を、半分は否定されている。君は少しだけ考えた事があるんじゃないか? 彼女がもしただの人間として産まれていたら、平穏な人生を生きられたんじゃないかと」
 動揺を見せてくれた。うち筋の鋭さはいまだ残っているが、僕への詰みを開始したんだ。早く将棋を終わらせようという気持ちが見える。
 歩が張られ、僕も厳しいが金を動かす。
「確かに普通の人生を歩めばそれは幸せかもしれない。寺子屋に通い、夫を娶り、子供を産み、子に見送られて死ぬ。それ以上の平穏な幸せは存在しないだろう」
「……私は後悔なんかした事はないよ」
「後悔はなくとも、疑念を抱くのは神だってあるだろう」
 残り五手で僕は詰まれる。だから僕は桂馬を張る。それに少し考えるそぶりを見せながら彼女は角を動かした。
「でも、彼女は幸せだろう。彼女は笑ってもいるし、ここで生きている。何よりも、だ」
 僕は飛車を張った。彼女の動きを制限する意味合いでも、ここで張る事をしなければ残り三手で詰まれてしまう。
 彼女はその飛車を殺すために金を動かす。
「彼女には、君たちが居るじゃないか。僕が幾ら望もうと、幾ら願おうと得る事の出来ない、無償の愛を与えてくれる君たちが」
 それは両親と呼んでも良いだろうし家族と呼んでもいい。僕が幸せだと考える中で最も不可欠な存在だ。
「君は不安に思ったわけでもないだろうし、彼女を信じてもいるだろうけれどね。僕の事を知って、少し悪い夢を見ただけだろう。何、僕とは違い彼女は良い人生を送れるさ。何せ、二柱の神が支えてくれるんだから」
 彼女が歩を動かして後一手でどうしようもなくなる状況へと追い込まれた。ただ、僕の方が一手早い。僕は角を動かして立ち上がる。
「……? 投了?」
「詰みだ。お茶を入れてくるよ」
 彼女が盤面をよく見て、小さな声を上げてくれた。良かった。粘った甲斐があるという物だ。
「え、うわ。嘘!? え、ここでこう動いても飛車がこう来て、私がここで張っても桂馬がこう動いて、逃げようとしても、あ、歩が二枚!? あ、あー! どこから!?」
「角からだよ。綱渡りも良いところだった。三日間研究をした甲斐があったね」
 三日間寝食を忘れて研究をして導き出せた結果が綱渡りの勝利だ。僕と彼女の差は二段以上あるだろう。
 お茶を入れて彼女の前に出す。今日は彼女のためを思って少し温いお茶にしておいた。
「さて。今から帰って東風谷さんに幸せか聞いてくるんだ。これが、僕の条件だよ」
 勝てば言う事を聞くという条件は続いている。彼女は僕と将棋を指さない事を条件にしようとしたんだろうが、それはそれで勝ち逃げされるのは悔しい。
「あーうー。森近くんって実はS?」
「さてね。片付けはやっておくから行ってくるといい。あぁ、それとそれを言った後の話しは、聞かせてくれるかどうかは任せるよ」
「うー。わかったよー。……それじゃあ、ありがとね」
 それだけ言ってお茶を飲む間もなく彼女は出ていってしまった。やれやれ、このお茶は無駄になってしまったじゃないか。
「……まぁ、親孝行のようなものだと思えば、いいか」
 僕が彼女に抱いていた畏怖のような気持ちは母親に対する者だったのだろう。彼女はあれで、子を持つ親だ。ついでに人外でもある。
 記憶の底にある母親の記憶はもう無いも同然の物だけれど。
 それでも、母親の匂いを心のどこかで求めていたのかもしれないな、と今更だが思う。そのためにやれる事のない親孝行紛いの事をするのもまた、半端な僕らしい。
「久しぶりに親父さんと会ってくるかな」
 温いお茶を飲んで、棚にある酒を思い浮かべながら親父さんの顔を思い浮かべる。まぁ、まだ酒ぐらいは付き合ってもらえるだろう。


「あー。暑いよー。干からびちゃうー」
「干瓢巻きにでもなってくれ。……それで、そろそろ僕とやるのはやめないのか?」
「残念でした。私は君を神奈子とやりあえるまで鍛える事にしたから、しばらくやめないよ!」
 勘弁してくれ。それはあと何ヶ月、いや何年も将棋を打たなければならないじゃないか。
「……はぁ。あぁ、魔理沙ー。西瓜を食べるから起きなさい」
「んぁ? あぁ、終わったのか。随分長かったな」
 魔理沙が畳と涎の痕を頬につけてやってきた。まぁ一時間近くは打っていたから暇で寝てしまったんだろう。僕と彼女の一局は見ておいても損にはならないと思うが、一時間も座っているのも大変か。
「わーい。塩はー?」
「ほい。んで香霖は早く切ってこいよ」
「それぐらいは君がやってくれても良いようなものだけど、ね」
 立ち上がりよく冷やしておいた西瓜を持ってくる。いや、氷の妖精は夏に便利だな。
「お、良く冷えてるみたいだな」
「それじゃあ私が切ってあげようか?」
「切り始めてる僕に言う台詞かい?」
 すでに縁側に出ているから切る気なんて更々ない癖に。その点は魔理沙も一緒だがもう何かを言う気力もない。
 西瓜を幾つかに切り分け、皿の上に載せて縁側まで持っていく。
 今日も暑いな。まだここは森の近くだから涼しい方だが人里なんかは熱射の地獄だろう。
「あー。だるいな。……なんで諏訪子はまだ将棋やってるんだ?」
 魔理沙が寝起きの回っていない頭で聞いてくる。
 さっき言った事が真実だとは思わないが、別に興味のある事じゃない。どうせ将棋を打つだけだ。最近は頻度も減って三日に一回、もしくは一週間に一回の時がある程度。
 疲れはするが、それは心地よい疲れに他ならない。
「楽しいから、じゃダメかな?」
「へぇ。んじゃ次は私と弾幕勝負だな」
「家の周りに被害がないなら自由にやってくれていいよ」
 西瓜もあらかた食べ終えたようで、魔理沙が言うと洩矢さんも頷いて立ち上がった。
 僕はそれを見送りながら仕舞ってある歴史書を開くために筆を用意する。これから長い付き合いになるであろう将棋の相手なんだから、書かなければならないだろう。



戻る