「八卦炉は何で動くのか、かい」
「ええ。魔理沙の持ってる八卦炉。その原動力を知りたいの。教えてくれる? 香霖堂さん」
春風が強く吹く日。
まだまだ肌寒いのを感じながら僕はカウンターで一人煙草を吸っている。
外から来たのは煙草。パッケージは黒く、イギリスの騎士が持つ紋章のようなものが入っている。
魔術的に見てこれを信仰することにより持つ者が多ければ多い程真作の持つ力が大きくなる効果でもあるのだろうか。
まぁいい。
煙草に火をつけて軽く吸う。……ハッカでも入っているのだろうか。
煙が冷たく感じる上に、やけに透き通るような感じだ。
味の方は悪くないのだが。
「……それで、いつになったら教えてくれるのよ」
僕が煙草を吸ってみているのを横目で見ながら珍しい来客、アリス・マーガトロイドが愚痴をこぼしている。
座っていながらも指を動かし人形を自在に操り香霖堂を掃除する姿はある意味魔法使いらしい魔法使いというべきなのだろうか。
だが結局のところアリスの動きは本人が行うのと大して変わらない。
ただ人手が少し増え一つ以上の作業を同時に行う事ができるだけだ。全てを一人でやるのと労力は変わらないだろう。
「そこの品物は二段目に頼むよ。……この程度で魔法使いの力の秘密を教えてもらえると思うのかい? 魔理沙が持つ最強の魔法器具の事
だ。仕組みがばれてしまえば無効化することも可能だっていうのに」
紫煙を吐きながら僕が言うとアリスは悔しそうな顔をして片付けを続けていく。
うん。都会派の魔法使いというのは真面目に働いてくれるし代価も払う。大変よいことだ。
「本当にこれが終わったら教えてくれるんでしょうね?」
「僕は産まれてから嘘というものを毛嫌いしていてね。正直な事が美徳だと思っているんだ。それに商売は信頼関係の上に成り立つものだ
ろう? 一つの契約を反故にすることないよ」
僕の言葉を聞いてもアリスはやはり訝しげな表情を変えることはない。嘘なんてつかないというのに。
はぐらかし、騙す、見当違いな事、そして僕なりの推論や勘違いを言うことはあっても嘘だけはついたことがない。
狼の存在を伝えても信じられないのでは全く意味のない事だからね。
「だが僕としては何故君が魔理沙の魔法を知りたいのかが疑問だよ。君が知ったところで彼女が使う恋の魔法は扱えないと思うが」
最もアリスが別の目的をもって知りたいのだということはわかるし大よそ予測はついているけれどね。
「……恋の力を魔法の力として使うなんて非常識よ。感情の魔法で破壊力を生むのは随分と大きな力が必要だしね」
それはアリスの見解であり、理由ではない。
聞きたいのは何故知りたいのなんだが。言いたくないのならそれ以上突っ込んだ事を聞いても仕方がないだろう。
「掃除は終わったわ。さぁ教えてくれるかしら?」
「そんな厳しい目をしなくても教えるさ。……そうだね。君は魔法使いだ。人形を動かす時にどういう風に動かしているんだい?」
「普通に糸を使ってだけど?」
人形と自分の手をつなぐ魔法の糸(これは比喩ではなくその通りの意味だ)を見せてくる。
勿論見えはしないのだが。だが僕の言いたいことはそんな事じゃない。
「もっと根本的に言ってごらん」
「……魔力?」
「うん。そうだね。魔法使いが使う力は概ね魔力だろう。魔理沙は基本的には魔力を増強しているがね」
「八卦炉が魔力で動いてて、恋の魔法っていうのはじゃあ普通に魔力でやってるだけなの? いえ。それじゃあ魔理沙も普通に魔法って言
うはずよね」
自分で考えるのはよいことだ。だが限定された情報だけで正確な答えを導きだすことは常人には出来ないだろう。
出来るとすれば精々賢者と呼ばれる存在ぐらいのはずだ。
「八卦炉というのは、別に魔力だけで動く物ではないんだ。力なら何でもいい」
「……え?」
呆けたような顔をして、僕を見つめる。
予想外の事だったらしい。アリス程の明晰な人物が、とは思う。けれど専門家というのは往々にして自らの知識の範囲内で考えてしまうものだ。
「世の中には様々な幻想の力がある。魔力霊力神力道力妖力。けれどこうした力というのは元を辿れば一つの力だ。呼び方が違うだけでね。その方向性の違いにしか過ぎない。
魔力は人や魔法使いが扱う力であり、脆弱な心を持つ者が扱えば魔に取り込まれてしまうこともある。
霊力は巫女や神主といった清い者が扱う力で魔を退ける力を持つ。だが使うには清廉である必要があり、余り使いすぎては神に同化してしまうこともあるだろう。
神力は神の使役する力だ。これは神々にしか扱えないが、人の信仰がなければ意味がない。
道力は仙道が扱うといわれている力で、魔力や妖力と同じ物だろうね。
妖力はその名の通り妖怪が使う力だ。人を惑わせ恐らせ、喰らうためのね。
それぞれ長所短所はあるが、元が同じという事に僕は目をつけた。
ならば八卦炉はそういう力を原動力にして動かせないかとね。結局考えとしては正解で大当たりだった。
まぁ僕は自分の魔法を使って八卦炉を暖房として稼動したけれどね。魔理沙に上げたのは護身のためだったんだが。
まさかあんな威力にまでするとは少し予想外だったよ」
「……長々と解説ありがとう。でも香霖堂さん? 私が聞きたいのは――」
「では何故魔理沙が自分の魔法を恋の魔法と謳っているのかについて語ろう」
声を遮り、僕は魔理沙を思い浮かべながら言う。
「人の一生は、短い。その中で人は種族として生きていく必要が存在するが、考えてみても欲しい。ただ子を成す。そんな人生に意味があると思うかい? それに知能ある身としてただ本能のままに子を作るのは耐えられることではないだろう。
故に、人は感情を持つに至ったんだろう。誰かを好きになる、誰かに恋をする、誰かに、恋焦がれる。
……そんな言葉がある程に感情というのは強い。特に、恋という感情はね。それが少女という多感な時期ならばずば抜けて深いだろう」
「でも、感情がそんな強い力を――」
「人の感情の中で強いのは恐怖であり好奇心であり好意であり、憎しみだ。
恋というのはその全てから生まれる感情だよ。
好きな人に嫌われるかもしれない恐怖。
好きな人の一面を見たい好奇心。
好きな人に対する盲目な好意。
そして、振り向いかない者への憎しみ。
君も、感情はわかるはずだ。人がどれだけ複雑な心をしているのか。いや、君だからこそわかるだろう?
人の心を模倣しようとしている君だ。複雑怪奇で摩訶不思議。人しか持ち得ない心。
生まれる意義や理由を初めからもっている妖怪には決して理解できない物。それが、心だ。
何より、恋とは一方通行だからね。愛のように安定していない。
だからこそ強い力が出せるのではないかな」
勿論今の言葉は全て僕の推測であり推論だ。実際のところ魔法使いの魔法は門外不出。
一子相伝とも言うべきもののため本当かどうかはわからない。
ただ僕としてそういうものなのだと思うのだが。
「……心が原動力……」
アリスはそう言って独り言を呟き始めた。やはり八卦炉の原動力が知りたいわけではなく、恋の魔法についてを知りたかったのだろう。
求めた物以上のサービスだが別に構わないと思う。
常連として来る可能性があるのならば多少のリップサービスは行うべきだろう。
「ただ、魔理沙に聞けばいいと思うがね」
「おいおい何だよ。珍しい組み合わせだな」
勢い良く扉が開き、白黒の魔法使いが現れた。残念ながら彼女の没頭はここで終わりだろう。
「……え? あ、ま、魔理沙じゃない。どうしたのよ」
動揺を顔に表しながら彼女は魔理沙を振り返る。いっそ哀れなくらいの動揺っぷりだ。写真に収めておきたいぐらいだね。
「暇潰しに来ただけだぜ? それよりアリスがここに居るほうが珍しいだろう」
魔理沙がツボの上に座りアリスへと問いかければ、冷や汗をかきながらしどろもどろで弁解をしようとしていた。
ふむ。もう少し恩を売っておこう。
「珍しい糸が欲しくてうちの店に来たんだ。しかし、魔法使いがこうして二人も居ると何か悪い事が起きるんじゃないかと思ってしまうね。生憎とうちに大きな甕はないが」
「おいおい、私が居る限り店の平和は万全だぜ?」
「最近商品が誘拐されて困ってるんだどうすればいいんだろうか」
「そりゃ大変だな。紅白の泥棒にでも連れて行かれたんじゃないか?」
話の矛先を少しずらせばアリスはほっとした顔になっている。
友人の魔法の秘密を探っているのだから当たり前だろうけどね。もしばれたら……いや、魔理沙なら別に問題もないと思うが。
けれど魔理沙は、魔女だ。
僕の知っている範囲が魔法使いとしての、少女としての魔理沙というだけで。
アリスは僕の知らない魔理沙の一面を知っているのかもしれない。
例えば、女としての一面や、魔女としての一面を。
「……ああ。魔理沙。そういえば身体の調子はいいかい?」
魔女だった時期の彼女を思い浮かべて問いかければ、魔理沙とアリスは不思議そうな顔をしている。
すでに記憶の隅にでもあるのだろうか。人は往々にして昔の事に触れられるのを好まないものだ。ならば無闇に藪を突く必要もない。
「いやなんでもない。ところで魔理沙。君の師匠は元気なのか?」
「え? ああ、魅魔様のことか? 元気、っていうのも変だけど、元気だぜ。最近は余り会ってないんだけどな」
楽しげに、嬉しそうに、そして少しばかり寂しそうに言う魔理沙を僕は少し珍しい目で見てしまう。
「魅魔って、あの悪霊のこと?」
アリスが興味深げに首を傾げる。すると、魔理沙は満面の笑顔となって頷いた。
「おう。魅魔様は凄いんだ! 悪霊なんだけど神様になろうとしたり博麗神社を乗っ取ろうとしたりしたけど、でもそれよりもな!」
爆発したように魔理沙が語り始めた。成程。
憧憬か、いや純粋に尊敬しているのだろう。魔理沙をここまで魅惑する人物。一度会ってみたいものだ。
爆発するような勢いで話す魔理沙を見ながら僕は静かにその話をアリスと共に聞いていた。
夜になって風は止んだけど、何でか私たちはこの店に泊まることになった。
布団は香霖堂さんが敷いてくれたんだけど。
あんまり人の家で寝るのは好きじゃないのよね。それ程親しい人じゃないのだし。魔理沙が居るから泊まれるのよね。
何か言い方が変かもしれないけど。
「……はぁ。案外お風呂広いのね」
「そうだな。まぁ霊夢とかも泊まるから広くしたんじゃないか? そもそも香霖が快適に入るのに広い方がいいんだろうし」
長い髪を湯船に浮かべて遊んでいる魔理沙を見ていると本人に聞いてもいいんじゃないかって思えてきちゃう。
きっと、答えてはくれないと思うんだけど。
「そういえば魔理沙は何で来たの?」
「ああ、暇だったからな」
タオルを頭の上に乗せて笑顔で言う魔理沙を、見つめる。嘘なのか本当なのかはわからないけど。
どっちにしても気安い仲だって事は私にだってわかる。
「ふーん。それじゃあそろそろ上がるわね」
「おう」
お風呂から上がって身体を拭く。着る物がなかったから適当にある服を借りたのだけど……。
やっぱり少し緩いわね。湯冷めしちゃうかしら。
「……ん? 上がったのか。寝るなら向こうの部屋で寝るといい。僕は少し本を読んでから寝るとするよ。気にしなくても、といわなくても気にしないだろうけどね」
わざわざ嫌味なのかしら。実際そうだから気にしないけど。
欠伸をしながら先に布団の方に足を向けて、襖をあけるとそこには人形がおいてある。
勿論、私の人形。ついでにさっき買うことになった糸も置いてあった。
こんな所で妙な出費になっちゃったけれど……糸の質も悪くなかったから、別に構わないかな。
布団に潜り込んで、今日彼に聞いた話を頭の中だけで纏めてみる。
そうすると疑問に思える点がやっぱり見つかった。
例えば、根本的なことだけど魔理沙が恋をしているのかっていうのもあるし、力が同じ物だって疑問点があるもの。
あの人の言葉を全部鵜呑みにするだけじゃ正解はきっと得られない気がするのよね。
「四月の……五月雨……まだ味も……」
「噛ん……舐め……ならない……」
部屋の向こうから魔理沙の声と香霖堂さんの声が聞こえてくる。
少しだけ気になるけれど、きっと大したことじゃないと思う。それに、どんなことでも私にはきっと関係ないはずだから。
暗い部屋の中で目を閉じて、考えながら眠りにつく。
外は雨の音が響いていて、この音を背景にすればすぐに眠れそうだなと思って私は――。
「アリス、まだ起きてるか?」
襖の開く音が聞こえて、眠れなかった。別にいいけれどね。
「ええ、まだ起きてるわよ」
襖の閉じる音と魔理沙が布団に入る音が聞こえて、少しだけ顔を上げて音のした方を見ると、魔理沙がこっちを向いてた。
何故かしら。少しドキドキするのは。……余りこういうのに慣れてないだけ、かな?
「おっ。起きてたのか。寝てると思ったぜ」
暗い部屋だから、魔理沙の顔は見えない。目が慣れれて見れないくらいに薄暗い部屋の中。
「そうね。それじゃあそろそろ寝ようかしら? 今日は少し疲れたし」
半分本当で半分は嘘。
魔理沙の家なら別にいいかもしれないし、私の家でも別にいいかもしれないけど。
他人の家で、魔理沙と二人っきりっていうのは少し落ち着かないから。今日の事も、あるしね。
「もう春だしな」
「……春眠ってわけじゃないわよ」
目を閉じて魔理沙から顔を背けた。あんまり、寝顔って見られたくないものだし。
魔理沙の方からも寝息が聞こえてきて、私は安心して思考を睡眠に落としていく。疲れをとるのはやっぱりこうして寝るのがいいわ。
「そういえば、春って色々騒ぎ出す時期だなぁ。アリス」
「え?」
寝息をたてていたと思った魔理沙から突然声を掛けられて、少し焦る。それに何で雑談なんかしようとしてるのよ。
「私はもう寝たいんだけど?」
「大丈夫だって。夢だからな」
私ってそんなすぐに寝れたかしら?
「嘘つきなさいよ。それで、何?」
溜息をついて、少し気温が上がってきたように思える部屋の空気を吸う。
そして、呼吸を整えた。魔理沙からどんなことを言われても平気でいられるように。
「色々と新しい季節でしょ? 春って。だから何かをやり始めるのにぴったしな季節で嬉しくなるよね」
「まぁ、そうね。春を集める亡霊だっているし。私だって人形劇で呼ばれる事が多くなるもの」
「そうそう。それに、研究意欲が出てくるわよね。ねぇ、アリスちゃん?」
思わず、背筋が、粟だった。
「あたいに聞いてくれれば教えてあげたのに、恋符の事ぐらい。うふふ。直接聞いても教えてくれないと、思った?」
これは魔理沙じゃないかと一瞬思ったけど。でも、彼女は確かに魔理沙だ。
知識を求める魔法使いではなく。
人を惑わす、魔女。
知っていたはずなのに。彼女が、魔女だって。ううん、知っていたから私は、魔理沙に聞けなかったのに。
「昼間に香霖が言ってたじゃない? 恋は様々な感情から生まれるものだって。でもね、あたいの恋は、少しだけ違うの」
魔理沙の言葉が耳から身体へ、そして脳へと染みこむ。
魔女の言葉を聞いてはいけないのに、聞いてしまう。何故か? 理由は分かってる。
この部屋にある、どこか甘い匂いのせい。
「恋は、憧れでもあるの。
強い者への憧れ、自分にない者を持ってる人への憧れ。
そうなりたいという憧れ。沢山の知識を得れる人への憧れ。
人とは違う存在への憧れ。
そこから生まれる、様々な感情。
勝てない存在への、屈折した憧れ。
自分の知らない事を知ってる人への興味。
なりたい存在に対する羨み。
自分にない可能性を持つ存在への逆恨み。
人ではない存在への、妬み。
そんな色々な感情が――」
恋符を作り出す、と魔理沙は言って。
動けない私の上に覆いかぶさる。
「貴女に、使いきれるのかしら?」
顔の見えない暗闇で、魔理沙の長い髪は、片側へと偏っていて。
私の意識は闇に落ちた。
「よく眠れたかい?」
「……悪い夢を見た気がするわ……」
顔色の悪いアリスを見ながら朝の挨拶をして、部屋の奥を見る。まだ魔理沙は熟睡しているようだった。
「今日はよい天気だ。日光にでもあたってくるといい。悪い夢も悪い現実も浄化されるはずさ」
「別にいいわ。家に帰って寝なおすから」
すでに服は着替えており、すぐにでも帰る準備は万端のようだった。
「悪い夢というのは、お告げの一種さ。君が心に抱える不安、恐怖を君の身に存在する神が少しでも晴らそうとしてくれるものでね。それがどんな悪い夢だとしても君の事を思ってのことだ。そして夢に見た存在に注意しておくといいよ」
「そうだといいんだけど……。そういえば、昨日からずっと起きているの?」
何かを期待するような目でアリスが問いかけてきたので僕は正直に答えることにした。
嘘をつくような事もないからね。
「ああ。本の続きが気になってね。考察にも熱が入ってしまいつい朝まで読んでしまったよ」
「それじゃあ、昨日この部屋から変な匂いがしなかった?」
成程。おそらく彼女は夢か現か理解できていないのだろう。
ならば僕はこれもまた正直に答えることにしよう。
「いや変な匂いなんてしなかったけどね」
言葉に、アリスは安堵するように息をつく。うん。お客さんの心の安寧がこれで保たれるなら悪いことじゃない。
嘘もついていないのだから、素晴らしいことだ。
「そういえば、昨日僕が言ったことは――」
「いいわ、もう別に。考えたけど研究に役立つようなことじゃないから……。それじゃあ私は帰ることにするわ。また、材料を買いにくるわね」
「ああ。その時のために質のよい糸か生地を仕入れておくよ」
店から出て行く彼女を見送り、僕は本の方へと視線を戻す。
どうせだから今日は日干しする必要のある物を外に出しておこうかな。
布団もきちんと外に出さなければいけないだろう。
「……お、アリスの奴帰ったのか?」
「ああ。君が脅かしたせいだろうね」
魔理沙が欠伸と共に部屋から出てきた。アリスが帰るのを待っていたのだろうか。
まあそれも仕方がないだろう。
昨日の今日で、魔理沙は嘘をつかないだろうから。
「香霖は嘘つきだなぁ」
「僕は嘘なんてついていないよ。変な匂いなんて本当になかったんだからね。魔法の際に使う甘い匂いはしたが」
そう、あの匂いは何度か嗅いだことがある。
だから別に変な匂いではない。もしも彼女が具体的に問いかけていれば、そんな匂いがしたというだろう。
だから僕は嘘なんてついてはいない。最もアリスが嘘だと思ってしまえば僕の言い分は少し弱いのかもしれないが。
「けど、あまり君もやりすぎてはいけない。いつかのように、髪が赤くなってしまうよ」
「霊夢が清めてくれるんだろう?」
「霊力は魔力を清め、魔力は霊力を汚す。今は霊夢が勝っているから清める分が大きいのかもしれないね」
僕なりの持論だがおそらくは概ね正しいのだと思う。そうでなければ、魔理沙が魔力に侵されていないことが証明できない。
勿論この持論にも穴があり、大前提である魔力の性質がどのような物かが間違ってしまっては意味がないんだがね。
「まぁ、恋符がどのようなものかは興味があるが君の魔法の事は聞かないことにするさ。魔女の言葉は、とても怖いからね」
「はん。商人の言葉より怖い物はないけどな」
言葉は力を持つ。
故に言霊という物が存在する。
魔女は言霊という力を用いて人を惑わし、商人は言霊という力を御して曖昧に自らの利を得る。
どちらにしても怖い話であることに変わりはないがね。
「何にせよ、最も力を持つのは言葉という事だね。言葉のおかげで人は自分の力を最大限に引き出すこともできるんだから」
恋という言葉さえつければ人はどんな感情も恋とする。
そして誰かを想う心は乞いとなり、乞いは請いへと至り、自らが許せば恋となる。
想いさえあればどのような感情でも恋と呼べるのだ。
どんなに強い感情でも恋へと結びつけ、また恋に似た物となるのはそのためである。
「言葉なんてなんの力もないけどな」
魔理沙の言葉も、また力だ。無力へと至らせるための言葉。
変幻自在の言葉を操ってこそ、恋符なんてものを扱えるように成ったのだろう。
「言葉を学ぶのは力を学ぶことに等しい。霊夢にかつためには万の言葉を覚える必要があるんじゃないかな?」
「単なる遊びで強くなれる程、遊びは底が浅くないんだぜ?」
言葉だけで強くなれるはずはないが、言葉なくして強くなることは出来ない。
言葉は心という樹があってこそのものであることは言うまでもないことなのだから。
「何はともあれ、さ。……彼女は少し騙されやすいから気をつけないといけないね」
「同感だな」
いかに力が強くとも言葉に惑うことになってはいけない。
そうしなければ、どんな格下の相手にでも敵わずに終わってしまうのだから。
研究もまた然り。知らぬ言葉、知らぬ力を扱うことは出来ても理解することは出来ない。
ましては自立する人形は人を作るに等しい所業だ。ならば人の作り出した産物である言葉を理解し、応用しなくてはならないと思う。
僕は道具を作る者だから彼女とは専門分野が違うため全くの的外れな事を考えているのかもしれないが。
「さて、布団でも干すか?」
「そうだね。君のせいで匂いが染みこむかもしれないからな」
僕は本を置いて立ち上がる。
空は昨日の雨が嘘のように晴れやかだった。
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