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『骨』

 暗い森の中、一人の男が呆然と立っている。

 月灯りすら届かない闇に、会社帰りのような男は不安気な顔で森の闇を見ていた。

 何でもない平凡な帰り道、いつものように鬱屈とした気持ちを抱えながら歩いていた。

 だが、気がつけばいつの間にか森の中。

 妙な臭いが頭を浸し、足元が覚束なくなる。全てを覆い隠す暗黒の世界。

 男は、恐怖で怯えていた。

「な、なんだいったい。ここは、どこだ?」

 震えながら先を確かめるように一歩一歩前に進む。

「くそ、いったいなんなんだ。私は、明日も仕事があるというのに」

 震えながらも、しかしこの状況に対する不満を口にして恐怖を隠し男は彷徨い歩いている。

 行くあてもなく、夢のような中。

 しばらく歩いた先に、何かを見つけた。

 闇の中ですら更に濃い球体の暗黒。

 宙に漂うそれは風に吹かれるように飛んでいた。

「……なんだ、あれは?」

 不自然なソレに微かな疑問が湧き上がり。小さな本能が逃げろ、と言葉を発している。

 だが男にはわからない。自然の中で生き抜いたことがない男には、その言葉を聞くことができない。

 近くまで寄ってきたその球体に男は手を伸ばせば、その手は闇の中に沈み込む。

 中は薄ら寒い。

 だが。

 不意に指に痛みと熱さが広がる。

「ひっ」

 腕を引き抜き見ればそこには――

「わー。貴方は食べてもいい人類?」

 ――指のない手。

 そして、球体が霧散し、中に居るのは、暗闇でもわかるほどに口の周りを赤く、赤く染めた、少女。

 コリ、という音を立てて何かを噛み砕いている。

 表情は笑顔。

 首元は誰かの血か赤く染まっている。

 誰かとは、誰だ。

「それじゃあいただきまーす」

 男は、逃げた。

 本能と理性が叫ぶ。

 ここから逃げなければ殺されると。

 足がもつれる。心が叫ぶ。

 これは夢だ。

 夢だ夢だ夢だ夢だ。

「これは、夢だー!」

 心だけではなく口に出して叫んだ。

 けれど。

 頭ではもう理解している。痛みが諭してくる。

 これは現実なのだと。どうしようもない今なのだと。
「おー? 鬼ごっこかー?」

「何? 面白そうなことやってるわね、私も混ぜなさいよ♪」

 疑問の声と弾んだ笑い声が唱和される。

 耳に入ってくるのは高らかな歌声。

 その瞬間、男の視界は閉ざされた。

 

 

 どれ程の距離を走ったのかわからない程走った。

 途中木の根に何度も躓きそうにもなった。

 だが、男は生きていた。

 持っていた鞄をなくし、靴も片方がなくなり、指も一つなくなった。けれど生きている。

 薬指に嵌めてある指輪も無事であるが、男にはそれを喜ぶ余裕がない。

 何かに手を掴まれたことも妙な歌の後に目が見えなくなったのも。

 全てが夢のようだった。けれど痛みは確かにそこに存在している。

 夢と現実の境に惑い。だがこの現実を否定しようと男はもがいてはいるが。

 今まで男が育っていた場所が夢だと思わなければ、この現実の否定は不可能だ。

「は、早く。早く手当てをしなければ」

 なくなった指からは血が絶えることなく流れている。このまま一刻も時が流れれば死んでしまうだろう。

 証拠に男の顔は蒼白となっている。

「……おや、こんな夜更けに出歩く人間がいるとは」

 少しの驚きの声にびくりと身体を揺らして振り返る。其処に居たのは青色の服を着た銀髪金眼の青年。

 外人だとは、思えない。その顔立ちは日系である。

「あ、あんた人間か!」

 男は、青年の姿に安堵しつつも素直に安心は出来ない。

 先ほど自分の指を食らったモノもまた少女の姿をしていたのだ。

「人間と呼べない事はないね。人間なのに人間以上の人間もいるからそれに比べれば僕はまだ人間の範疇ではありそうだ」

 はぐらかすように青年が言うが男は人間と己を称した男に対して、抱きつくようにする。

「ああ。助かった! 変な奴に追われているんだ助けてくれ!」

 血の源泉のような手で触られ青年は少しだけ眉を潜めそして溜息を吐く。

「別に良いが。……それじゃあ僕の店まで来るといい。一日ぐらい泊めるなら構わない。 あぁ、あとその手は絞っておいた方が良さそうだ 。余り血が出ると幽霊になるか、もしかすると妖怪になってしまう事もある」

 手を振りほどき、腹の部分にあるリュックから包帯を取り出し男に渡す。

 青年はそのまま振り返らずに道を歩く。

 男は片手と口を使って包帯を強く巻き、それに続いて歩く。

「と、ところで君。君の名前はなんと言うんだ?」

 動転していた精神が落ち着きを取り戻したのか、その青年が自分よりも年下に見えることに気づいたのか。

 男は年上だという事を押し付けるように上からの目線で青年へと問いかける。

「……人に名前を聞く前に自分の名を名乗る方が先だと思うがね。魔法使いでもなく、陰陽師でもないだろうに。それ程自分の名が貴重かい? ……けれど聞かれたなら答えはするよ。僕の名前は森近・霖之助。魔法の森の近くに ある香霖堂という店の店主だ」

 青年、森近・霖之助は礼がなっていない者を見下げるように溜息を吐き自分の名を言う。

 余りにも自分を馬鹿にしているとしか思えない態度に男は苛立つ。だが霖之助しか今頼る者が  ない状態では悪態を付くわけもにいかない。

 そのため、男は見当違いな怒りを抱いたままに自分の名を言う。

「私は○○商事の係長で――」

「外の人間か。そんな名乗りをする人間は大体外の人間だって決まってるんだ。名前は別にいい。明日になったら霊夢の所まで連れていこう」

 名乗りの途中で霖之助は口を挟みそのまま何事もなく歩くのを続ける。

 男は更に不満を溜め込む。けれど、何も言えず幾つもの疑問だけが浮かび上がるのみ。

「外の世界っていったいどういうことだ。私は道を歩いていただけなのだが」

「この幻想郷ではない場所のことだ。けれど余りその話しを聞かない方が君のためだ。この場所を確固たるものと認めてしまっては、君は帰れなくなるかもしれない」

 それは霖之助なりの気遣いだった。素っ気なく――とは言っても親身にする必要は霖之助にはないのだが――するのも、出来る限り情報を与えないのも。

 この世界を現実のモノと認識してしまってはこの世界の住人になってしまう。

 だが男にその理屈が理解できるはずはない。

 ただ静かに怒りと鬱屈を滾らせるだけだ。

「さて。到着したね。包帯は後で替えておくといい。竹林にでも行けば医療道具はあるんだろうが仕方がないな」

 店の中に入り霖之助は包帯と少しの痛み止め、そして流し込むためのお茶を用意し始める。

 意外にもしっかりとしているが、それで男の的外れな怒りは収まらない。

「どうも」

 そっけない言葉で男は我が物同然の顔で居間に上がりこむ。

 霖之助は何も言わずそのまま全ての準備をこなしお粥を用意して隣の部屋に布団を敷いた。

 一連の作業に大した時間はかかっていない。

「それを食べたら寝るといい。夜は長い。寝ていれば何事もなく夜は明けるだろう。後、外には決して出てはいけない。何が起こるのかわからないからね」

 立ち上がり霖之助はカウンターの前に向かう。

 痛み止めのせいか、それともなれない山道を歩いたせいか。もしくは精神を張り詰めさせていたせいか。

 男は食べた後に布団に潜り込みその意識を簡単に手放す。




「ああ。君か」

「ええ。私ですわ」

 霖之助の声が聞こえてくる。男は夢うつつでそれに耳を立てる。

 片方の霖之助の声でない方は女の声。どこか胡散臭く、どこか少女のような、それでいて老年のような静けさを否応なく感じさせた。

「何の用ですか? 今日はもう店じまいですが」

「大した用じゃありませんわ。ただ、食料がここに迷い込んではいませんかと」

「ここにある食べ物は歩き回りはしませんよ。足もなければ空も飛ばない。精々静かでいるのが特徴ですね」

「あら。今日仕入れたばかりのモノが居るじゃありませんか。最近の子たちはソレの味を知っているのも少ないですから、たまには食べさせないと存在が鈍ってしまいますわ」

「アレは余り良い味ではないだろう。汚れている食べ物は妖怪でも腹を下すことになってしまうんじゃないかい?」

「貴方は半分だけ人であるもの。同じ生き物を食べる事は好きではありません?」

「僕は人間でもあるからね」

「けれど人間ではないでしょう? 人は自分たちとは違う生き物に恐ろしさを感じる生き物です。あまりにも弱い。だからこそ私たちが存在できるのですけれどね」

「妖怪が妖怪としてあるためには恐怖が必要だ。心に生まれた恐怖を喰らい、そしてその肉体を喰らうことによって妖怪は人に恐怖を植えつける。……だが、助けを求める人に助け舟を出さないこともないさ」

「ふふ。妖怪でもあるというのに?」

「確かに僕は妖怪でもあるけどね」

 その言葉を、男は聞いた。

 銀髪で、金の瞳を持つ青年。日本人ではなく。そして、確かにあの時、男はこういった。

 人間の範疇には入ると。けれど自分を人間だとは一言も言っていない。

 だが、今の言葉は自分を妖怪、それはわけがわからないが、人間ではないと認めるものだ。

 ならば霖之助が自分をここに誘いこんだ理由は説明が付く。

 そもそも人を無償で助けようとする人間がいるわけがないのだ。

 何も要求しないなんて、今の世界でいるわけがない。

 ならば。

「僕は食料を必要としていないし、霊夢や魔理沙がここに来る以上あんなのを食べることもない。あいつらに退治されてしまっては元も子もない」

「そう。けど、ソレが逃げたらどういたすおつもり?」

「何もしないさ。僕は忠告はした。それを破って行く者を引き止めるつもりはないのだから」

 すでに霖之助の言葉を聞く者は目の前に居る妖怪。

 八雲・紫しかいなかった。

 それに気づいているのは紫だけか。それとも霖之助も気づいていたのかどうか。




「はぁ、はぁ、畜生! あの化け物俺を食おうとしてやがったな!」

 自らを助けた霖之助に毒づき男は整理されている道を走る。道の遥か先には微かな灯りが灯っており何故気づかなかったのか自分でも疑問に思うほどだ。

 猜疑心に捕らわれた男は走る。

 だが。

 それは。

 自ら罠に嵌る獣と、大差ない。


「あ、さっきの人間だ」

「え? あぁ、これが隙間が言ってた人かな? 蟲たちに食べさせてもいいんだっけ?」

「あはは。じゃあ心も身体も食べちゃわないとね♪」

 歌が響き、先ほどまで映っていた灯火が掻き消える。いや、違う。

 灯火が消えたのではなく、ただ男の目に光が入らなくなっただけだ。

「ほら、たまには人間でも食べないと私たちは弱くなっちゃうんだよ?」

 耳障りな無数の羽音が男に向かい、飛ぶ。

「それじゃあ私はあまったところだけ食べようかしら」

 楽しそうな少女の声が羽音に混じって聞こえ。

 身体に何かが噛み付いた。

「ひぃ!」

 小さく、身体のどこかを引きちぎられる。極僅かな痛み。けれど塵も積もれば山なるという言葉があるように、その痛みは全身をめぐる。

 首、手、足、顔、耳、ありとあらゆる部分からブチブチという皮膚が食いちぎられる音が身体の中に反響していく。

 男はそれでも走る。痛みから逃れるように。身体をかきむしるように身体についた蟲を払い落とし、嫌な音と共に踏み潰しかける。

 挙げるのは、絶叫。

 男は走って、走って、走って。

 転び。そして。

「ねぇ、貴方は食べてもいい人類?」

 声と同時、腕が引き抜かれる感覚は男は得て。

 それが最後の記憶となった。



 ・・・



 晴れ晴れとした良い天気の下、静かに本を読んでいる霖之助。

 何事もない一日を満喫していたその静かな香霖堂に一人の来客が訪れる。

「うわー。嫌なもん見たぜ」

「どうしたんだ魔理沙。妙な顔をして」

 いや、客というのは正しさを得ていないだろう。

 物を買わない客なんて者はいない。ならば冷やかしとでも称すべきだろうか。

「いやな。さっき其処で骨があったのを空から見ちゃったんだ」

「ふむ。里の人間だろうか」

「さてな。でも里じゃ誰かいなくなったら半獣が騒ぐだろう居るから違うんじゃないか?」

「僕の知る事じゃないな。まぁ何か悪いようなら霊夢が退治でもするだろうさ」

 興味なさげに霖之助が言えばそれもそうだと魔理沙も頷きを返す。

 幻想郷で人が死ぬことはあるものじゃないが、それでも珍しいとはいえた。

 骨となっているということは死肉を喰らわれたということだ。

 死体を食べる妖怪が少なくなっている今、そんな妖怪が居るとすれば疫病の妖怪だろう。

「別に何もしないわよ。里は静かだし。大方外の人間が迷い込んだんじゃない?」

 戸を開けて、霊夢が欠伸をしながら店に入ってくる。

 魔理沙は笑いながら手を挙げ、霊夢は頷いて店の奥へと入っていった。

 いつものことながら、自分の家かのような振る舞いだった。

「夜の闇を歩くなんて外の人間は警戒心がないもんだよな」

「外には妖怪が少ないんだろう。ならば警戒心が弱まるのも当然だろうさ」

「それじゃあ巫女は何をして暮らしているのかしらね」

「霊夢以上にぐうたらだったりしてな」

「あら私はそんなに遊んでないわよ」

 魔理沙も店の奥へ足を進めようとして、棚の上に置かれた一つの物を見つける。

「おっ、指輪じゃないか。香霖にしては普通の物だな」

 手にとってみれば高価そうなもので、紅い宝石が美麗に輝いていた。

「ああ。それは結婚指輪みたいだ。片方しかないから婚礼には使えないだろうね。それに、縁起も悪いだろう」

 事もなげに言われた言葉に魔理沙は顔をしかめ「やっぱり香霖がまともな物を仕入れるわけないか」と首を横に振った。

「別に二つで一つが一つでしかないのは少し気持ち悪いわねぇ。ところで昼ごはんは何なの?」

「さてね。とりあえずいつかみたいにちらし寿司でも作るかい?」

「はっ。悪趣味だな」

 鼻で魔理沙が笑い何かを作りに台所へと入っていく。それを見送り霖之助は一つ頷いて風呂敷を片手に立ち上がる。

「それじゃあ二人は食べてていいよ。僕は骸を無縁塚に埋葬してこよう」

 余り放置していても良くないことにしかならない。それが香霖堂へ来る道にあるのなら霖之助にとってなおさらに。

「霖之助さんがやってくれるなら私は楽できていいわね」

「どうせなら食べ終わってからやればいいじゃないか。骸だけど仏ってわけじゃないだろ?」

「それどころか暴かれて骨しか残ってないけれどね」

「無縁塚の掃除も行っていなかったから早いところやりたいところだったんだがまぁいいだろう」

 風呂敷をカウンターの上において霖之助は店の奥へと入っていった。

 風もなく、陽の光も穏やかな外を尻目に、香霖堂の棚にある指輪は静かに輝いている。



 今日も、幻想郷の平和と日常は揺るがない。






END


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