5章 幻実&現実=?

「ねぇ夏雪」
 帰り道。燃えるような夕焼け。
「ん? 何だ?」
「私さ、夏雪の事が好きなんだ」
 突然の告白。なんとなくわかったんだろう。俺の様子を見て、何かをするっていうのが。
 友人としての感情ではない言葉。だから俺の答えは一つだけ。
「夕菜。俺さ、どうしても助けたい、好きな人がいるんだ」
 それは互いにわかってた。俺は表に出さないけど、夕菜はそれを感じていた。
 わかっていたから、聞かなかったし、わかっていると思っていたから言わなかった。
 けどそれでも言わなかった理由は。
「うん、知ってたよ」
 夕菜を傷つけたくないっていう俺の偽善でしかなかった。
 
「おー。最近お疲れの所悪いけどさー、起きるべきだと思うよー?」
 揺すられる感覚を受けて目が覚めた。目を開けると法一さんの顔が近くにあったのでどける。
 周りじゃ何か騒がしい声が聞こえるけど無視しよう。
「あー、すみません。考え事してたらつい」
 人工知能に関する情報を読んでいたら眠気が着てしまった。きっと昨日の事も原因だろう。
「まぁ、寝る前に話を戻すんだけどさー。これは無理だと思うぜー?」
 軽く組んでみたのは自分で掴み、叩き、潰す相手を選別するプログラム。ただそれは自身で思考させないといけないわけで。
「自意識を持つプログラム、なんだよなぁ」
 プログラムを見ながら考える。考えて、考える。
 無理だそんなの。
「諦めるの? そうね。諦める諦めないじゃないもの。不可能よ」
 思考をばっさりと切り捨ててプログラムの構築に戻った兎さんを横目にしながら俺は考えてみるけど。まぁこれは無理だろう。考えるだけ無駄か。
「今のところどんなにやっても達成できねぇしなー。ニュースでやってるのもどうせガセだろ」
 完成とか言っても自分で考えているように見せかけているだけっていうのが大方の意見だ。
 というかそんな物が出来たらとっくの昔に幻実を作ったどこぞの天才が発明してんだろう。
 分野が違うからそんな事はありえないってわかってるけど。
「腕程度なら適当にやりゃいいんじゃねっすか? 私にゃわからねぇっすけど」
「素人が変に口出すんじゃねぇよ。ってかおい棺桶。何でこんな三下までここに居るんだ」
 こいつらのことは放置しておく。
 まずは考えることを考える事が先決だわなぁ。あそこの技術も前より進歩してるだろうし。
 場所の特定はいつも通りに世果に聞くしかないんだが。本当、あいつも謎だよな。何者だよ。いつもあそこの場所がわかるのは、何をどうしてるんだ。
 直接聞けばいんだろうけど教えてくれるわけないしな。あいつの事だし「私がどんな回答をした所で確証は持てないのではないかな? それなら知っても知らなくても同じ事だよ。ただ欲しいというなら一千万程用意すれば教える気はあるがね」ぐらいは言うだろうなぁ。
 あー、もう。幻実逃避して夕菜と適当に話でもしてたい。
 昨日の事を思い返すと夕菜とは会話は出来ないだろうなぁ……。俺が完璧に振ったような形だし。何で俺なんか好きなんだ。
 アイツならもっといい男を見つける事ぐらいできんだろうに。
「何か悩みでもあんのか?」
「昨日幼馴染の子を振ったって言ってたぜー。はは。もてる棺桶は辛いねぇ」
 法一さんアンタ何カミングアウトしてんだ。ていうか俺の事だってのに何言ってんだこいつ。
「詳しいことは思い出したくないし言いたくもないから言わないぞ」
 これだけはマジで。泣かれもしなかったし、悲しそうな顔にもなってなかったけど。夕菜を傷つけた事は確かなんだし。人に話すような事でもない。
 聞かれても答えられる事じゃないしなぁ。
「へぇ。……ハルモさんぶれないっすね。そこに私惚れ直しますよ」
 こいつは論外だ。俺の中に存在する常識の規格外だからどうでもいい。
「はん。女泣かせって奴だな。それで何人の女を泣かせてきたことやら」
 キングもキングでなんでそんな棘があるんだ。同じ女として共感でもしてんのか。
 あー。もう。面倒くさいなぁ。
「うっせぇなぁ。とりあえず準備万端ってわけじゃないけど整ったよな」
 あれから、二週間。結構長かった。
 シャングリラ攻略を一緒に行うという奴が八十七人。見学だけ来ると言った奴は八人。
 攻略はわかるけど、見学って何でだろうか。世紀の瞬間を目撃したいって考えてるのか。
 それとも俺が失敗して取り込まれる瞬間でも見たい奇特な奴が、居るんだろうなぁ。交友関係が広いと、味方も多くなるけど敵も多くなるもんだ。
 変に目立つとこれだから困る。千さんを助ける事が出来たらしばらく身を隠しておこうかな。
「それで、決行はいつになるの? 今月で日にちは二十二時からとしか聞いてないのだけれど」
「ああ。それ嘘です。決行時間は二十一時からで、来週に行きます」
 一応、ばれないための防止作なんだけどな。時間ぐらいはシャングリラも掴んでるだろうから、念のために時間をずらす。これで何人か、何十人か来れなくてもそれは許容範囲だ。
 二十人ぐらい来れるなら良いんだが。
「それ下手すりゃ人来ねぇって事もあるんじゃね? 作戦って呼べねぇだろうし。呼べても下策だろ」
 痛い所を突いてくるなぁ。事実そうなんだけど。
「それぐらいの賭けを成功させないと、あそこは厳しいだろう」
 誰かがあそこに行ったって噂は聞くは聞くのだけれど。どうも、昔と違って門番が居るらしい。それに追い返されて入れないって理由が大半らしいのだけれど。
 昔のような戦争ならともかく、今の時代で門番が居る理由はなんだろうなぁ。
「用心深いこった」
「用心する事に越した事はねぇって知んねぇのか裸の王様。つーかハルモさんに喧嘩売るってんならアタシが買うぞこら」
「あ? うっせぇな三下が。ゴミ箱にでも入れてやんぞ」
 もうこいつら放っておこう。そうしよう。
「……それで勝算があるならいいけれど。それじゃあ、早く色々やりましょう。像を助けるためにも、ね」
「まー、そうだなー。いい加減、シャングリラに縛られるのも面倒くせぇしなー」
 うーん。兎さんの言葉にはいつも裏があるように思うなぁ。裏というか、含みか。法一さんも同じような物言いなんだろうけど。この人の場合は気にしても仕方ないか。
 兎さんのことを第一に考えてる人だし。
「それじゃあ、兎さんは来週までにあれの完成をお願いします。法一さんは隔離の準備を」
 二人については特に問題ないんだけど。
「……そこの二人は、当日までに分かり合っておけよ。お前ら戦力の要なんだからな」
 たった一人の軍勢。破壊王のキング。
 六人の楽団を率いるトランペット。
 こいつらが居れば並大抵の企業や研究所は落とせるんだよなぁ。
「誰がこいつとなんか」
「どちらかというと大反対っすね。こんな奴と一緒にしないで欲しいっす」
 あー。もう。頭痛くなる。何でこいつらこうも仲悪いかなぁ。
「んじゃ、解散。また来週。決行日一日前にここに集合。それまで重要な用がないなら連絡はなしで。いいな」
 俺の言葉にそれぞれが適当に頷いてどうにか解散になった。あー、もう。面倒くさいなぁ。


「……あー。寒い」
 身体だけじゃなくて心も。いつも居る夕菜が高校でも居なかったっていうのがでかいかもしれない。
 自分から拒んだ事だし、仕方ないんだがなぁ。
 そして。病院の前で立っているのが今の俺。会わないと言ったけど、それでも会いたくはなる。誰も聞いていないし破っても文句は言われないだろうけど。
 自分の中にある何かが、折れてしまうかもしれない。
 夕菜の告白を断ったのもそれが最大の理由だ。思い出す度に胸が痛くなる。
「……まぁ。どうせ今月中には、会えるんだ」
 それも、起きた千さんに。そう思えばまだ頑張れる。頑張る事が、出来る。
 病院を眺める。隣を通り過ぎる人が俺を見て首を傾げて向かうのを見ながらふと思う。
 犬さんは、どうしているのだろうと。
 あの人は俺が助けるより先に出来るのだろうか。それとも、俺が失敗した時に備えているんだろうか。
 俺が失敗しても犬さんが居るだろうという安心感はある。だから俺は落ち着いていられるんだろうけど。
「さぁて。どうなるんだろうな」
 病院の前で座りながらしばらく待ってみる。別に約束をしていたわけでもないし、確信があるというわけでもない。だけど、なんとなく犬さんと話をしたかった。
 言えば、来てくれただろう。メールでもすれば応えてくれただろう。けどあの人と会うのはそういうのじゃいけない気がした。だから、待ってみた。
 はたして犬さんは現れなかった。
 当たり前だ。あの人に会えるのはせいぜい一年に数度だしな。この間会えたのは単純に運が良かっただけだろうし。
 俺は俺で、やろう。


「はい。というわけでとうとう当日になりましたわけっすか。兎様! 法一様! どうっすか今の心境!」
「おいこらてめぇ。何で俺の事無視すんだ糞野郎」
「は? アンタなんか眼中にねぇから。さっさと電子の藻屑にでもなりやがれ」
 何か悪化してんなこいつら。
 あー。まぁ、言った事はしてくれるだろう。してくれないと困るけど。そこまで子供じゃない奴らだと思いたい。
 作戦の根幹に関わってるとまでは言わないけど、こいつらが下手すれば瓦解に近づくし人間関係についてもうちょっと考えておけばよかった。ミスったなぁ。
 怒るにしても何でこいつらの仲が悪いのかわからないと何もいえないし。トランペットが一方的に悪いってわけでもなさそうだし。
「……よし。兎さん、とりあえずリストに登録してる奴らにメールしてくれませんか。法一は特定した場所に隔離の準備を」
 どうにかなると信じてとか、そういうのは放っておく事にした。もうどうにでもなる。ていうかなるようにしかならないはずだ。
 投げやりな気がするけど仕方ないとしか言えない。
「あいよー」
「わかったわ」
 これで、俺が何か出来るのは向こうに着いてからだな。やる事はやったし、人事を尽くして天命を待つって状態だろう。
 さぁて、何人集まってくれるかねぇ。
「んじゃ行くか」
「うっす。どこまでもお供します! 貴方とだったら地獄までっす!」
 そこまで付いてこられなくちゃいけないのかよ。嬉しくないわけじゃないんだけど、嬉しいなんて事でもないんだよなぁ。
 こいつはいつかちゃんと俺から引き離す必要がある。俺より一つ年上で美人ではあるんだから、ちゃんとした奴に恋でもして欲しいもんだな。
 今みたいなのは健康的じゃねぇし。……まぁ、つっても俺がどうこう言えるものじゃないのはわかってるんだけどな。突き放すにしても、これが終わった後だろうし。
 それでも俺から離れなかった時の事は考えると怖いからしない事にする。
「んじゃちゃちゃっと行こうぜ」
「それじゃあ私先に行ってるわね」
「俺も先行ってるぜー」
「それじゃあ私も先行ってハルモさんのために文句言う奴らぶちころしてきますっす!」
 最後何言ってんだ。
「俺も一緒に行くに決まってんだろうが。んじゃ、しっかりやりに行くか」

 今日のシャングリラは城だった。大阪城あたりを思い浮かべてくれればいいかもしれない。なんつーか。これはもしかしてここを管理してる誰かの趣味か。
 ……いい趣味してんなぁ。一国一城の主のつもりか。
 それならこっちは城攻めだ。
「急なことだったけど、よく集まってくれた」
 後ろを向けば、そこに居たのは五十八人。これは予想外だ。
「言っておくが、引き返すなら今だ」
 この言葉に、引き返す奴は居ない。
「ここに来た目的は全員違うだろうさ。なんとなく。知り合いが捕らえられた。ここについて知りたいから。俺らがどうなるのか知りたいから。様々だろう」
 目的が全員一緒だとは思ってない。
 そこまで楽天家でもないし、人間を信じても居ない。ただ、ここを攻略したいって思う気持ちだけは信じる。
「……お前ら、覚悟はいいな! 危険な場所は前後左右全てだ! 俺はお前らを補佐する! お前らは好きに突き進め! 出来ないなんてこたぁねぇよなぁ! ここに来た時点でお前らは一流のハッカーだ! クラッカーも居るかもしれねぇけどそんな事は関係ねぇ! やりたい事をする! 知りたい事を知る! そのために此処に居るんだろうからな!」
 自分でも薄っぺらい言葉だとは自覚してる。それでも、乗ってくれるだろう。
 興奮している何人かが声を上げて、それに釣られた何人かも声を上げる。……こいつらは二流だな。いつでも冷静で居られない奴が一流になれるわけない。
 つってもこと本番になれば冷静になる奴も居るんだろうが、それは稀だ。
「それじゃあ行くぞお前ら! 突撃だぁ!」
 言葉を発して、全員が走るのを見る。俺はその後ろから付いていく形になるんだが。……いつの間にかキングがいないな。
 どうせ先頭に居るんだろうけど。あー。まぁ、いいか。どうせキングが前に居れば、門番がいようといまいと関係ない。
 相手がよっぽどチート紛いの事でもしてなきゃキングが負ける道理はないしな。
「で、そこの楽団はしっかりとな」
「はいはいー。皆ー。今日の曲目は教えた通りだよ! さっさと準備して、演奏開始!」
 トランペットの掛け声と共に一人の男が前に出てきて指揮を始める。……六人で演奏するのは素人から見るとありえない事だし玄人から見てもどうなのかって所なんだろうが。
 まぁ、いいや。不吉な曲っちゃー不吉な曲だけど、踊りと見立てたのは悪くない。いいセンスしてるじゃねぇの。
 トランペットのアバターは同調するという物だけど。あれから何か考え付いたのか、もう一つのプログラムを作り上げた。
 簡単に言ってしまうと、妨害だ。
四から六人で演奏する音楽。それにはアバターの能力を阻害するというプログラムが仕込まれてる。音を聞こえなくすればいいという問題じゃないのが厄介な所だな。
全員集まらなくても四人いれば使えるのは中々頭の良いことだ。
 今回一緒に攻め込む奴らには事前に抗体プログラムを渡してある。とはいってもこの曲にしか効かないような物だが。それがない敵は、きっと動かしにくくてしょうがないだろうな。
「うっし。んじゃ法一さんはそいつらのお守り頼みますね。トランペットは、一緒に来い」
「はいっす! ふふ、ハルモさんのために頑張ってみせますよ!」
「あいよー。いってらっしゃい」
 この状態でハッカー達の指揮は必要ないし、そもそも聞くような奴らでもないだろう。誰が先に中へ行くのかを争ってるような奴らだ。
 元々、協力なんて見込める奴らじゃないしな。一人や数人程度じゃここを攻略する事なんて出来ないから便乗してるのが大半だ。つまり、二流一流の集まり。
 超一流、ウィザードクラスになったら誇りがあるだろうし。
「皆が騒いでる間に、と。トランペット。頼む」
「あいあいさー」
正規の手順でいくなら正門からパスワードを入力して更に門番に許可を貰って入る必要があるんだろう。
 ただし、トランペットは別だ。通信を遮断する。それなら、内部と外部を反転させればいい。
 現実的に考えれば不可能だ。けれど、幻実的に考えるなら可能となる。普通ならこれをやってる間に処理されて終わりなんだけど。それは今の物量作戦。他の奴らが暴れてる間にやってしまえばいい。
「ここだけ誰でも入れる事が出来るっす」
 言葉と共に見れば穴が一つ。まぁ、戻しておく必要はないだろう。見つけるなら、誰でも見つけりゃいい。
 俺の目的はここの攻略じゃないしな。
「それでっと。……第二層は前に来た時と変わってると思うか?」
「私に聞かれても困るっすよー。あの時は私もバカでしたしねー」
 そのぐらい覚えておけよ。……まぁ、内部に変化はそんなに無さそうだけど、っと。
「……何か、居るな」
「居るっすねぇ」
 居たのは複数のアバターだった。驚いてるようだから人間だろうなぁ。……数は、七人か。俺が相手にするのはきついな。ここウィルス一杯だし。
 トランペットはそもそも感知とか干渉しか出来ないし。戦闘は苦手なんだよなぁ。
「俺様に任せておけよ、雑魚共」
 言葉が聞こえた瞬間、隣を何かが走って行った。と思った瞬間にはアバターが二つ倒れてる。
 ……今何が起こった?
「この程度の奴ら一分で終わらせてやるからさっさと先に行けよ。俺はここらで暴れて行くからよぉ」
 右手にトランプを持って、キングが立っていた。いつの間に来たんだこいつ。
 襲い掛かる奴らを投げ飛ばして、遠距離から銃みたいので放たれた弾を避ける。あー。俺はこいつとタイマンでやりあえる自信がねぇ。
 ちなみに切られたらしいアバターには遠めからでもわかるほど、エラーが表示されてる。あのトランプに何か仕込んでやがるな。
 キングの実力に加えて楽団もあるから平気だとは思うんだが。……敵は決行いい動きをしてる気がする。短時間で対抗できるようなプログラムを打ったとは考えにくいんだよなぁ。
「んじゃ、任せる」
「数に圧されて死ね!」
「ウィルスに引っかかって死ね!」
 こんな時でも仲が悪くなれるのは才能なのかこいつら。実は仲が良いんじゃないだろうか。
 まぁ、いいや。
「さて。第三層へは、と」
 千さんが使ってた鼠でもあれば楽なんだけど。生憎と俺にはそこら辺のプログラムがないんだよなぁ。持ってはいるけど、持ってきてはいない。ダミーとかはあるんだけどそれに発信機としての機能つけた方が良かったかね。
「私の物って欠陥だらけっすけど、使うっすね」
 言って、トランペットが大きく声を上げた。ような錯覚に陥る。
 音が出る部分に音符のエフェクトが出て散らばっていく。そして、壁に触れた物が消えた。そこにあるウィルスに侵されたのかもしれない。……まぁ、ソナーに似たような物だろう。欠陥がどこにあるのかわからないけどどうにかなるだろうな。
「よし。わかりましたっす。大まかな位置は、前回と変わらないっすねー」
 覚えてるじゃねぇか。
「んで、欠陥って何なんだ?」
「私たちの現在地がばればれな所っすかねぇ」
 駄目だこれ。キングが居なかったら俺たちは詰んでるところだぞ。トランペットのツールはどれを取っても使いにくいんだが。まぁ、大人数でなら使えない事はないって物か。
 いつか暇になったらこいつの物を今度改良しよう。そうすれば単体でも使えない事はないだろうし。まぁ、トランペットは今年受験だしそういう事をするのは先になりそうだけど。
「……まぁ、そこは後で改良するって事で。んじゃさっさと先に行くか」
「うっす。敵が来たら守ってくださいっす」
 今回に限ってはそうするしかないよなぁ。……まぁ、俺らに来る余裕があるならキングらに向かった方がいい気もするけどね。正門が突破されれば、内部に侵入してくるのもすぐだろう。
 先に俺らが最深部まで辿り着く可能性もあるからどっちが良いなんて一概には言えないけど。
「三層はあそこっすねー。私先に行きますよー」
「あ、おいもうちょい慎重に」
 最後まで言葉を待つ事なく、トランペットは三層へと足を踏み入れる。
 果たして何事も起こらない。いや、それが一番なんだけど。やけにあっけないな。前にここで手に入れた物に簡単な記録は残っていたけれど。
 あれが罠じゃないってのは、逆に疑問に思える。
「成程っす。これは単純に眠らせるだけっすね。簡単に言うと寝落ちみたいなもんっすよ。微妙に聞こえなくもない音楽で脳波? みたいな物をどうこうするんじゃねぇっすかね」
「それあれに書いてた事まんまじゃねぇか。……まぁ、それにプラスしてお前の楽団からの音楽が作用してそうだけどな」
 実際あの紙が真実だとは思えない。念のためのプログラムも組み込んであるけれど、それよりは遠くから聞こえてくる曲と干渉し合って効果が薄くなってると考えた方がまだありえる。
 やっぱこいつ連れてきて良かった。ここまでは想定してなかったけど。
「んじゃ、後は歩くだけだな」
 畳になっている一本道を歩いてどこかに罠か何がないかを慎重に探る。案外ここにもあるかもしれないと思ったのだけど。気のせいだった、か?
 流石に第三層まで入られる事は予定外なんだろうか。いや、それにしても何か対策の一つはあってもおかしくないはずだけど。
「あ、通路はここで終わりっすねー」
 長い通路が終わり先に見えるのは大広間のような場所。城に見立てる今で言うなら天守閣だろうか。ただこれで終わりなわけはないし幻実なのだから天守閣の更に上があっても不思議じゃないが。
 トランペットが足を一歩踏み出そうとした所で、頭に警報が鳴り響く。
 やばい。これは、何かある!
「どけ!」
 変換ツールを使いほぼ一秒で棺桶から阿修羅へと変化し、前を歩いていたトランペットを後ろへ引き倒し、通路の先に出て横を見る。
 瞬間。
 黒い何かが。
 横切った。
「……勘を培っているようで何よりだ棺桶。五年間ただ遊んでいたわけではないな」
 右手に激痛が走る。阿修羅の状況確認を行えば左後方の腕が一本。そして本命の右手が一本なくなっている。何が起きた?
「っ」
 相手に向き直り、正面を見据える。その時にはもう誰もおらず。
「知覚を最大にまで上げろ。俺に食い殺されたいのか?」
 ほぼ勘で横へ転がったところにまた黒い何かが走り去る。壁でも跳躍してんのか!
「っと、久しぶりだっていうのに、随分なご挨拶ですね?」
 あー。もう、かなり混乱でもしてんのか俺! なに悠長な事ほざいてんだ!
「現実で会ったのは去年だが、幻実で会ったのは四年ぶりか。成長したな。噂は聞いていたし報告も聞いたが。昔だったら今ので落ちている所だろう」
 何あんたも俺の話に付き合ってんだ。今の状況を全体図としてみればここはすでに難攻不落はほど遠い状況になってるはずだろう!
「そういや、そうですね。えっと、それで犬さん。こんな所で俺を相手にするよりも、えーと」
「お前の方法でアイツを守るなんて出来やしない。俺はアイツを守り、助けるが。お前は助ける事しかやれなかった。それが結論だ」
 ようやく、姿を観察する余裕が出来た。昔のような黒犬の姿ではなくなっている。
 黒い中に鈍く光る銀の刃物のような輝き。
 犬に似ている、狼の形。
「自己紹介がまだだったな。ストレイドック改めハウンドウルフ。速さに関しては、誰にも負ける予定はない」
 俺が何かを言う前に。いや、言わせる事すら許さないのか。犬さんは黒い影となってこの天守閣を縦横無尽に走りまわる。
 出口は見えている。天守閣の外には更に道が続いている。その先にきっと何かがあるんだろう。それでも、そこまで行くのは遠い!
「アンタ、何でここで!」
 ぎりぎりで避ける事に成功しながら問いかける。疑問符で頭が埋め尽くされそうだってのに。
 その状態でこの人とやりあえるわけがないだろ。
「質問に答える意味はないだろう?」
 問いかけようと、その言葉は返されるはずがない。そりゃ、当たり前か!
「そこの奴を期待しているなら無駄だ。俺は誰も通しはしない」
 感知に引っかからないという性質を利用しようと完全に居なくなる事は出来ず、目視ながら見つかってしまうのだからそこまで高望みはしない。俺が行くか。トランペットを囮に、してもこの速さの前じゃ追いつかれるか。
「安心しろ。春水は俺が助け出す」
 言葉に端に溢れる感情を、感じた。そして理解した。薄々と思っては居た。考えてはいた。
 犬さんは、春水さんを好きなんじゃないかって。
 その言葉を聞いたなら、俺は負けるわけにはいかない。
「犬さんって案外、わかりやすいだなぁ!」
 怒りとは違う。憎しみはきっと近い。
 嫉妬だ。同じ女を好きと思う者で。きっと犬さんは千さんに俺より近い場所に居る。
 守ると言葉にしたんだ。それは守れる距離に居るという事。守り、助ける事が出来る。比べて俺は助ける事も不安定。ああ、犬さんの方が賢いし方法もよくわかってるんだろう。
 それでも。
 好きだという気持ちだけは負けてられない。
「っ!」
「くっ」
 いてぇ。右手が更に、肩まで削られた。それでも一発入れてやったんだ。見返りとしちゃ悪くねぇな。
 痛覚切断してなかったら痛みで死んでるぞ。まぁ、キングとやりあった時はもっと痛かったけどな。
「なぁ一つ聞くぜ、犬さん。ここは、何だ?」
 冷静に避ける。それでもぎりぎりだと言うことに変わりはないし会話を楽しめるほどの余裕は現在持っちゃいない。
 けど、この速さに対抗するのは俺の阿修羅でも無理だろう。限界値が十と十五では些細に見えて埋められない差が存在している。
 幾らこっちが早くなろうとも同じ土俵で勝負するなら負けるというのは変わらない。
 だから、その他の所で打ち崩す必要が出てくる。
「いい質問だな。だが、自分で答えを出せ」
「優しいのは、千さんにだけって事か」
 記憶だと千さんは問わなくても勝手に教えてたっていうのに。それとも、聞かないから教える人なのかね。
「わかってないわね。その人は常に、愛した人には甘いのよ。優しくないの」
 動きに翻弄されて、けれど掴もうとした瞬間に犬さんの身体が地に落ちる。上から降ってきたのは一匹の兎。
「基本的に忠犬だもの。主のためになら甘く緩く絶対の忠誠で応える。駄目な人よね?」
 通路から更に二匹の兎が現れ、右の兎は弓を放ち左の兎は斧を振り下ろす。
「あぶねぇ!」
 斧は軌道を変えて俺へ。弓はそのまま犬さんの方に向かった。けれど犬さんは流石というべきかどうか。上に乗っていた兎を振り払い一足で距離をとった。
 兎さん、アンタ何してんだ。
「来てから姿が見えないと思ったら……」
「穴は閉じちゃったわよ。どこかの少女が迷い込まないようにね」
 アリスを連れてこない兎か。ここには女王様もトランプも帽子屋だってない。
 居るのは囚われの仏様。場所は狼が守る鉄壁の城。王は居ても王子は居ない。
「昔に話や童話に触れそうで、触れない場所だ」
「言い得て妙だな」
 犬さんが微かな笑いを漏らした。ああ、もう。緊張感が少ないな。
 面子が面子だけに仕方がないか。今ここに居るのは三人だけなんだから。
「それで、兎さんは」
「私は私で犬さんに用事があった。ここを誰が作って動かしたのかはわからないけど、それでも犬さんなら居るってわかってたもの。この人が研究していた事のある分野を思い浮かべればね」
 気楽な口調で一匹の兎が笑う。そして他の兎は戦闘態勢を崩さない。四対一って所か。俺を狙えば、俺が捕まえればいい。兎さんの三つのアバターは全てを同時に破壊しなければ破壊できない代物だ。
「流石というべきか」
「褒める事でもないわ」
「……人工知能?」
 確か前に聞いた事のある話だと、犬さんの専攻は人工知能に関する事だった。この場所は人の精神を閉じ込める。
 いや、それに関係なんて。
「ここを通さない事が俺の仕事だが、兎も相手にするとなる分が悪いな。本気を出させてもらう」
 犬さんの姿が、変わる。いや、それはたいした変化じゃない。俺のと比べればそれ程の変化とは言えないだろう。何せ、頭が三つになっただけなんだから。
「……操るの大変じゃないかしら?」
 俺も手を操れないし兎さんの三匹の兎だって自由自在に操れるわけじゃない。だから自由自在に動かせるはずもないんだが。それでも、嫌な予感はする。
「ここで研究している事の、副産物だ」
 言葉と共に犬さんが走った。移動速度はさっきと同じだ。いや、さっきよりも少し遅い。
 なら威力は高いはずだけど、頭を増やす意味なんて。
「私も本気で行く必要、あるね」
 言った兎さんの本体が飛び上がって、右と左はそれぞれ離れた場所に移動しようとし、左右の二つは、出てきた首によって噛み砕かれる。
「なっ」
「やっぱり。それ、私も欲しいわ」
 今の首の動き方は、はっきり言ってしまうと一人の人間が行える事じゃない。それこそ意思でも持ってないと。
「それで、副産物だってのか!」
 自律的とも言える動きを見せたのは、人工知能なのは話の流れから見て間違いないはずだ。けど、それでも。一回でそれと解るほどの動きっていうのは反則じゃないか。
「命令を与えられないと思考する事もできない、その程度だ。完成品は命令を与えずとも動くようになっているさ」
「その口ぶりからすると完成しているようだけれど?」
 ああ、もう俺は完全に蚊帳の外だな。今の内に行こうとしても、犬さんは相変わらず警戒してるし。二人で話すなら二人で話してくれよ。
 なんて言っても、戦闘のプロとかじゃない俺らに隙がどうのこうのなんてわかるわけないんだよね。ただなんとなく、今ならいけるでやるしかない。
 とはいってもがむしゃらに突っ込んでも負けるだけってのはわかってるしなぁ。兎さんのアバターは、別に一体二体壊された所で問題ないけど。
「さてな」
 言って、犬さんは着地した兎さんへと飛び掛り、破壊されたはずの兎が横から殴り付けた。あれ、修復速度が上がってる?
「……改良は欠かさないか」
「もちろん。こうなりそうな気はしていたもの」
 兎さんのアバターは三つで一つ、らしい。だから三体中二体が壊れても残りの一体から壊れる前のデータを適応するとか。
 勿論全部が一斉に破壊されたり、破壊されないまでも腕が取れたり足がなくなったりしたらその情報はそのままに残るらしい。直すにはホームにある元データを適応しなくちゃいけないのは他のアバターと一緒なんだけど。
 それにしても、早いな。五秒も経ってないのに直るのか。
「……棺桶、何しているの? こんな所で遊んでないで早く助けに行きなさい。貴方がしたいのは守る事? それとも犬さんを倒す事なのかしら?」
「通しはしないさ」
「通させるわよ」
 そうは言われても、なぁ。犬さんはあれで通路の近くからそんなに動いてない。動く時なんて俺たちに攻撃する時ぐらいだ。俺の全力で突破したとしても見える通路は一直線。後ろから突っ込まれたら食われておしまいだ。
 そうならないためにも犬さんは少しぐらいどうにかしておかないと。
『棺桶、次、どっちかに向かってきたら行きなさい』
『あ、はい』
 なんか命令された。畜生、これで食われたら兎さんのせいだぞ。
 まぁ、正直ここでいつまでも犬さんと相対してる意味はない。この人に負けたくないとは思うけど、それでもこの人が最終目標でもないんだしな。
「……なら、通ってみろ!」
 犬さんが駆けた。……そりゃ、今の会話をしたら俺に来るよなぁ!
「ええ、勿論」
 兎さんの本体が俺の前に立ちはだかって、食われる。って、いいのかそれ! まぁ俺は行かせて貰いますけど!
「……!」
 犬さんが走る姿勢になったのがなんとなくわかる。あー。どこの頭に食われる事になるんだろうなぁ。正直どれでも変わりゃしないんだろうけど。痛覚全部遮断しておくべきかな。畜生。後はトランペットに任せる事になるんだろうかこれ。
「だから行かせないってば」
 何故だか兎さんの声が聞こえた気がする。あれ? 本体はもうやられたはずじゃ。
 ド派手な音が聞こえた。多分犬さんが走り始めた瞬間に地面に叩き落されたんだろうけど、何をしたんだ。本体がやられた以上はかなり痛いはずなんだけど。
「私のアバターには一つずつ名前があるんだって、犬さん知らないでしょ? スプリングラビット。サマーラビット。フォールンラビット。そして、ウィンターラビット。四対三。犬さんは、勝てるかしら?」
「可能不可能の問題ではなく、やるだけだ」
 大体わかった。隠してた四体目を使った上に、それが本当の本体だったって事か。……それはともかく会話だけ見るとまるで兎さんの方が悪役っぽい。
 実際、攻めてるのはこっちだし悪役と言えなくもないけどな。
「……まぁ、そんな事は、いいんだ」
 後ろの事は兎さんに任せよう。上手くすればキングが増援として駆けつけてくれるかもしれないし。俺は俺のやる事をやるだけだ。
 それに。
「あ、ハルモさん遅かったっすね。いやぁ、さっきわんころの隣を歩いてた時は噛まれるかと思ったっす」
 全速で進んでたらトランペットがウィルスを駆逐しながら進んでた。道理で何もないわけだ。
「お前、兎さんのツール使えば最高のアタッカーだよ」
 簡単なツールだ。やろうと思えばトランペットにだって作れるような、迷彩ツール。自身のアバターを他のプログラムと同じオブジェクトに見せるだけの。勿論本来は反応もあるし感知系のツールを使えば見つかる。
 けど、トランペットのアバターは感知系を騙す物だ。俺のアバターにも引っかからない程に優秀な。ついでに俺のダミーを作るツールを使えば、あそこにトランペットが居るように錯覚させられる。
 だから、犬さんでも騙せた。そもそも俺に注意の大半を向けていたからだけれど。
「そんな褒めてもエロい事しか出ないっすよ?」
 他のを出せよ。
「急ぐぞ。兎さんが相手してるって言っても、犬さん相手じゃ分が悪すぎる」
 性能の差もあるけど、戦ってきた数も違うだろう。
「そりゃそうすね。あれはやべぇっす。癪っすけどあの糞野郎じゃないと勝てねぇでしょうし」
「お前ら仲悪すぎ」
 実力って点を埋めようとするなら、兎さんが犬さんをほどよく傷つけてくれるぐらいじゃないといけないだろう。
 あそこであのまま戦っていたってこっちも片腕が無いしなぁ。万能型で戦闘型に勝てるとも思えないし。あー、最初で腕をとられたのが痛すぎたか。
「まっ、それはどうでもいいじゃないすか。それよりも、あそこじゃないっすか?」
 示された指を見るまでもなくわかる。小さな部屋が点在し始めている場所の奥。そこがここの制御室か何かだろう。
 制御室に入る。とりあえず何もない事を確認。ついでに誰も潜んでない事も確認。無駄に少し広い事も確認する。
 犬さんが入ってきても大丈夫なようにダミーを作り出して、罠も仕掛け直しておいた。これである程度は阻害できるはずだ。まぁ、部屋に入ってきたと同時にアバター自体の操作が反転するっていう程度だけど。
「お前は情報できるだけ引っこ抜いてくれ。俺はここを調べてみる」
「あいさー。初めての共同作業っすね! 結婚生活最初って超緊張っす!」
 結婚もしてねぇし初めてでもねぇよ。
 さて。ここの操作方法は、と。……面倒くさい。纏めてあるリストを見ても名前とまるばつしか付いていない。
 あ、千さんの名前があった。記入欄には何もないな。……とりあえず無事って判断していいのかね、これは。
 ……本来なら何かされるのを犬さんが防いでいたんだとすれば、俺の考えは確かに幼稚なもんだったな。
 助けだせても、何かされてたんじゃ意味がないよな。
「……いや、まずは、どうするかか」
 そんな簡単に起こせるはずもないよなぁ。それに千さんが起きたとしてどうするかっていう問題もあるし。……今の状態が精神だけあるって状態ならアバターをつれていけばそのまま元に戻るのか?
 病院と幻実は繋がってるけど身体のある方に向かってくれるのかって問題がある。リストから見ると六百七十一人。それ全員の命とも言える物が掛かってるから責任は重いし。さて、どうしたものか。
「……あー。犬さんに直接問い詰めたい所では、あるな」
 それを行うにしても、難しいだろうけど。犬さんには犬さんの立場がある。もし倒せる事が出来れば、力ずくで従わせる事は……。まぁ、やれない事はないか。
「しょうがねぇっすよ。無理なものは無理っすし。んで、情報は現在七十五パー確保っすよー。目を通しても重要そうな物はなさそうっすけどね」
「まぁ重要な物を置いておく程じゃない、か」
 人工知能が作られたのならすでに此処は不必要。それに伴って被験者。もっと直球に言ってしまえば実験をする人間も使わないって所か。
 ……人間を使ってるのは、それこそ人の精神でもコピーしようとしたのかもしれないな。それが上手くいくかどうかは知ったこっちゃないけど。
 まぁ、上手くいきはしたんだろう。そうじゃなけりゃ、ここを放棄なんてしないはずだ。
「けどわからないっすね。終わったなら、何で解放しないんすかね?」
 理由。それが問題だ。簡単には解放できない理由があって然るべきなんだ。それがないと今の状況になりえないはずだ。
 どんな些細でもいいから、その理由を見つける必要があるんだが。
「あー。面倒くさい。トランペット、準備しろ。そろそろ来るぞ」
 とんでもないスピードでこっちに来る反応が一つ。この速さからすると兎さんがどれだけ傷を与えたのかはお察しって所だろう。
 それでも時間を稼いでくれた事と、ここまで通してくれた事には感謝をするけれど。
「はいっす。あ、何か決め台詞とか考えなくていいんすか?」
 んなもんねーよ。仮にあったとしても言える程に恥を捨ててねぇ。
 ……まぁ、なんとなく格好よさそうってのはわかるんだけど。それでも、なぁ。
「……いらねぇ」
「んじゃ、番犬如きじゃ、主には敵わねぇ。とかどうっすか!」
 自信満々に言われても。
「どうでもいいけど備えろ。来る!」
 反応が部屋の前まで来たのでカウンターを取ろうとした所で、犬さんは部屋に入ったとたんに後ろに下がった。あれ? 罠ばれた?
「よくよく考えると、罠にかかった瞬間に後ろに下がる事になるんじゃないっすか?」
 俺は馬鹿だ。畜生、何やってんだ!
「……いいトラップだとは感心するが経験が甘いな」
 ゆっくりと犬さんが中に入ってくる。顔が一つなくなってた。ついでに傷だらけ。兎さん、アンタどれだけ激戦をやったんだ。
「アイツとまともにやってたら俺も負けるだろうな。上手く逃げたが。やれやれ、上には上が居るものだ。あいつならキングとやりあっても勝てるだろう」
「はは。兎さんが天才だってのは、マジなんすね」
 ろくに戦闘をやった事もないだろうに。机上の空論を突き詰めた結果が、あの人のような物か。けど、それ故に実戦で相手を逃がすのは、仕方がないか。
 戦闘力では負けてなくても機転で負けるのはやむを得ない。
「ああ。……棺桶、お前はどうだろうな?」
 呟きと共に犬さんが黒の弾丸となり、俺へと突っ込んでくる。……あれ? なんか少し遅い?
 とりあえず避けた。すれ違う瞬間、ファイルが俺に渡される。
「中々、避けるな」
 ファイルの受信は完了した。ウィルスに引っかからない所を見ると特にそういう物じゃなさそうだけれど。
 なんだこれ。
「あ、ああ。アンタもかなり疲れてるだろうし、アバターの負傷具合は五分五分だろう。決着を付けるにはいい機会だ」
「俺の勝ちか、お前の勝ちか」
 やろう、と言うと同時に犬さんが駆けまわる。トランペットにでも攻撃してくれりゃ囮の役目を果たしてくれるだろうから恩の字なんだけどそうも言ってられないか。戦闘に関しては役にたたない事はとっくにわかってるだろうし。
 隙を見つけては俺に飛び掛る犬さんを避けて、ファイルを解凍。中身を見て、思わず苦笑が出た。それはここの解放条件。……成程な。
 あの人を助けられればそれでいいって事か。誰が助けたかは問題にしてなくて。
「……じゃあ、なおさらアンタを倒さないといけなくなってるって事か」
 呟き、モチベーションが上がっていくのを感じる。
 条件は二つ。犬さんを倒す。解除キーを入力する。
 簡単な話だ。まぁ、解除キーが普通ならわからなくて苦戦するんだろうが。……いや、そもそも犬さんを倒さないといけないって言うのもある。
「……トランペット、お前はここを調べろ。その間に、俺が犬さんをやる」
「言うようになったな」
 これで俺が犬さんに勝ったら、問題なく千さんは助かるだろう。けどここで犬さんが負けなければ、千さんはどういう風に助かるのか、わからない。
 逆もまた然りではあるけど。
 ここまで来た以上、引き下がれないのも事実だしな。
 さっきまでと比べると格段に遅いとは言ってもこっちもこれ以上の損傷は避けたい。今だって半壊に近いんだ。これ以上やられると動けなくなる。
 冷静に、見極める。犬さんだってタダでやられてくれる程、生やさしい人じゃないし、同じ男として負ける事は出来ないだろう。
 こっちとしては、望むところだが。
 とりあえず、頭を一個潰さないと避けるのも出来やしない。
「ところで犬さん、アンタここ数年、ずっとここでこうしてたのか?」
「ああ、ここでずっと仕事をしていた」
 何の仕事なのかは、言わないか。研究者としてか、警備としてか。……この人の研究分野を考えれば研究者としてなのかもしれないな。
 ……千さんの安全と引き換えに力を貸す、ね。それが通用する程には犬さんは優秀って事か。
 避けて、更に避けて。攻撃をする瞬間の動作を見極める。スピードを捉えるのは無理だ。走る瞬間を抑えるのには、速さが足りない。ならやれるのは走る瞬間を捉える事だ。
 それさえ出来れば、手はある。
「へぇ、その隙に助ける事ぐらい出来たんじゃありませんか?」
「俺がどうなるかが理解できる事を、する気はない」
 引き換えに犬さんは良くてクビか、最悪死ぬ可能性も存在するか。下手な事をしないで堅実に行う。それはきっと、いい事なのだろう。
 急いで下手を打つのに比べればきっと。
「俺だったらきっとやってますけどね」
 俺の言う言葉は若さから来るものだろう。色々な物が見えない分、視界が狭い分、やれる事が多いという事だってある。
 大人の犬さんには出来ない事が俺には出来る。
「若いな。俺にもそんな時期があった」
 懐かしむようにか、それとも自嘲なのかよくわからないけど。犬さんはそんな事を言いながら苦い表情になったような気がする。
 どっちにしても、俺には関係ない事か。
「んじゃ若い者に譲ってくださいよ」
 後ろの腕に当たって、噛み千切られた。これで残りの腕は三本。あと一本で元の数に近づいてる。
 これじゃあろくに攻撃も出来ない。した所で読みきれない以上は、掠るかどうかがいい所だろうな。
「若い者に苦労を与えるのが年上の勤めだと昔から言うのを知らないのか?」
「老害って言うのを知らないんですか?」
 できるなら、二つ目の頭は潰しておきたい。これがあるから厄介だしなぁ。なくなればいいけどこれを潰すならそれこそ阿修羅と引き換えでやるしかない。犬さんは本体を絶対に守りぬくだろうしな。俺だってそうするさ。
 ……まぁ、それしかないか。
「早々に決着を付けましょう。いつまでも長引かせたくない」
 犬さんが俺に向かって、一歩踏み込む。言葉は不要って事か。いいね、それなら俺もそうしよう。
 これから先の事は言葉にする必要はい。
 だから、犬さんは俺に向かって駆けた。そして二つ目の頭での攻撃を行い。俺は腹を食い破られる。
 タダで渡す程こっちも甘くない。だから二つの腕を使って全力でその頭を叩き潰し、残り一本の腕で犬さんを抑え込む。
「……これでどうするつもりだ、棺桶。お前の負けか?」
 のんきに話をする余裕があるようで何よりだ。でもその余裕が命取りだよ、犬さん。
「トランペット、抑えてろ! 一秒でいい!」
「はいっす! ハルモさんのためなら命賭けて!」
 洒落にならなさそうなのが怖いけど、一瞬だけでいい。一瞬だけ抑え続けてくれるのなら。
「何の真似だ?」
「誰の真似でもなく、勝つためですよ」
 プログラムを起動。変換。その間、二秒。
 トランペットは弾かれる。けどよくやった二秒も抑えられるとは思ってなかったよ。
 俺の姿はもう一度変わる。棺桶。人型。阿修羅。そして。
「本邦初公開。名前は、犬殺しデット・ドックなんて、どうですか?」
 デットロックと掛けたつもりなんだけどね。……まぁ、これが秘中の秘。
 兎さんと一緒に作った内の、もう一体。
 阿修羅が戦闘、本当に戦闘型なら、これは皆の補佐をするための型。戦闘面での性能は人型にも劣るだろう。
 何せ幾人とも通信を行うためだけに全能力をつぎ込んだものだ。俺の部屋にサーバ一台を設置しただけの甲斐はあった。おかげで今月はかなり侘しい生活をしなくちゃならなくなったけど。
 ただ今この瞬間に限るなら犬さんを潰すに足る性能を持つ。
「騎士型か。それでどうするつもりだ」
 リビングデッドのような姿で、騎士と名乗るには俺は主が居ないし、主と思えるような人は今目の前に居る人と千さんぐらいしかいないけれど。
「こうするんですよ」
 ただ力一杯に抑え付け、犬さんに向かって通信を飛ばす。その数、およそ七千。簡単に言ってしまえばDOS攻撃だ。圧倒的な数による暴力。アバター自体の機能を止めるのには十分だろう。
 今シャングリラに仕掛けている物量作戦と同じ作戦。
 質で敵わないなら数で挑むしかないって事だ。
 声も何も発しないのは、多分落ちるか否かの瀬戸際だからだろう。
「犬さん、これで終わりです!」
「……お前の方が、余程大人らしい」
 苦笑交じりのそんな声が、聞こえたような気がした。