0章 セットアップ

 千手観音を象ったアバターが幾つもの数字に分解し形を変貌させる。全てが切り替わり再構成された物は三つの顔と六つの手を持つ阿修羅。戦闘用に組んだ、ハッカーとしての自分が作りだした物だ。
『像、右から矢だ』
「了解、犬さん」
 リーダーの声に従って右方面を見ると言葉の通り、矢の形を模した対ウィルス用プログラムがこちらに向かって飛んできた。
 対抗させるのは片手に持ったプログラム破壊のソフト。仲間の兎が作った解体ツール。剣を模しているのは単純に自分の趣味だ。
 剣を右に一閃することによってプログラムは一瞬で数字の塊へと分解される。やっぱり人工無能程度も備わっていない場所ならこの程度の防衛力しかもってないか。
 この程度じゃハッカーという人種には傷一つ付けることもできない。
『おい像! てめぇが見つかってどうすんだ! 俺様の出番が減るじゃねぇかよ!』
 通信窓が開き冠のマークが浮き出て吼える。口とかないのに喋ることが出来るのが幻実の面白いところだと思う。と思うのは現実を第一に考えているからなのだろう。
「悪い悪い。だけど少しぐらい俺に遊ばせてくれよ。前に立つなんて滅多にないんだし」
 言い返しながら全周囲から降り注ぐ矢を六つの手に持つ剣で切り払っていく。
 プログラムの姿を変える必要はないのだけれどこういう所に凝ってしまうのが趣味人と呼ばれる所以だと思う。
 アバターもグラフィックは拘る必要はない。プログラムさえしっかりと組まれていれば姿がどうだろうときちんと作動はする。けどそこはやっぱりその姿にグラフィックを合わせた方が楽しい。矢を破壊するなら剣や銃の方が見栄えいいしね。
『リーダー! いいのかよ!』
『キングも遊んでいいぞ。ああ、でも中身のシステムまで壊さないようにだけ気をつけてくれ。そこまで行くと、遊びじゃ済まなくなるからな』
『……ちっ。あいよ。了解了解』
 荒れた男の声と冷静な男の声が通信窓から響き苦笑いを浮かべてしまう。
 擬似音声だから実際はどうなのかわからないけれど。
 いつでも冷静なリーダーと、主力のキング。キングが暴れている間に綻んだプログラムの隙間から忍び込みFWファイアーウォールを突破するのが自分なのだけれど。
つい調子にのって壊し始めてしまった。
 普段は侵入するのが楽しい場所に行くのにも関わらず、今日はそれ程楽しくない場所だったのがいけないか。
 黒々とした世界で周囲に在るのは三つの防衛装置。現実リアルに存在しないとはいえ戦車を模した形にしているのは某国の趣味だろうか。戦車から矢が出るのは見ていて面白いけど。
「兎、あれ使ってもいいか?」
『ん? 私は別にアリだよ。でも1秒以上使うと他の監視システムに引っかかるよ』
「あー。それじゃあ次の機会にとっておこう」
 ハッカーにとって新しいプログラムは常に奥の手として用意しておくというのは常識以前の問題。それを自力で作れるくらいじゃなければハッカーなんて名乗れない。
 にしても、それぞれに得意なことは存在している。兎は自分ための、というよりはプログラムを作ることに特化しているタイプのハッカーだ。
 作って実践さえ出来ればそれでいいという目的からチームの全員にプログラムを渡している。
 すでにバグがない事は確認されていて、全ての防衛システムに効果があることは実証済みなのだが。ここで使うと別のところで使う際に対抗プログラムが組まれている時があるから下手を打てない。
『それはそれで残念。使い心地とか使い勝手は実戦で報告して欲しかったけど。次の機会にしようかしら、それしかないわね、うん』
 勝手に納得されてもなぁ。と、考えて自動にしている内に防衛システムはあらかた沈黙させていた。沈黙時間はおよそ三分。
 内部のデータをコピーするのに必要なのは一分だから余裕だ。
「でもリーダーこんな所、前哨戦にもならないんじゃないか?」
『明日、色々なところを賑やかすのが目的なんだからいいだろう。お楽しみは次もあるんだしな』
『あー。リーダー? 次の予定聞いてないんだけどー? この間の話で出たシャングリラでも挑むのかー?』
 チームのハード面担当の法一がなにやら寝言を言いやがった。
 基本的にハードの方に掛かりきりになっているから知らなくてもいいのだけど。
『いや、あれはまだ早いだろう。それに都市伝説のような存在だしな。今回は、学校だ。そこそこ分厚い壁があるらしい。兎の要望通りにな』
 来るまでの会話ログはあらかた消えていたけれど二人の間に何か重要な会話があったのだろうか。
 まぁ、いいか。気にする事じゃないし、っと。もう情報は全部盗み終えていた。楽だなぁ。
「よし全部盗んだし撤収する。キングはまだ暴れてるのか?」
『あ? こんな所一分で制圧できんだよ。俺様のテク舐めんなよ!』
 何故か怒鳴られた。舐めていたつもりはないのだけれど。いや、こっちのアバターよりも戦闘に特化されているからこの結果も当たり前か。こっちはその分情報を盗むことに特化してあるわけだから一長一短。
 どちらがより優れているかは場合によるとしかいえない。
「経由ログを残さないようにだけ注意して戻るよ」
『俺様みたいにログ自体壊せよ』
「そのツールくれよ」
『知恵と努力と時間の結晶だ。くれてやるかよ』
 それはそうだ。リーダーも兎も法一も、奥の手ぐらいは持っている。
 元々が一匹狼である一流のハッカーなのだし。今チームを組んでいても後々裏切る可能性だってある。
 キングはログ壊しと、もう一つ二つあるだろうしこっちも一つ二つは持っている。
『二人はしばらくしたらいつもの場所にな。次の準備と、少し話しがある』
「わかった」
『あいよ。了解』

「世界で遊ぶなんて小学生でもできる」
 帰ってきて、今なら世界でも相手取れる気がするというバカみたいな話をしていると、黒犬の姿を象ったアバターを用いるリーダー、犬さんが皮肉気な笑みを浮かべてそう言った。
 世界に幻実ネットが存在する以上、その言い分は決して間違いじゃあない。
「でもそんな歳で世界を相手取れるわけないだろ。理解力とか発想とかあるしさ」
 幻実世界では確かに歳はおろか性別すら関係ない。どこが偽りでどこが真実すらもあやふやな世界。けれど実力と精神と思考という三つだけは偽れない。それだけがこの世界の真実。
 けれど、小学生じゃあ虚偽を見分ける力が足りないと思う。
「経験でどうにでもなるだろうって事で私はアリだと思うよ」
 兎のアバターをした兎は興味なさそうに新しいツールを作りつつ言って。
「負けず嫌いな奴が多いだろうって俺様は意見するぜぃ」
 トランプのキングのアバターをしたキングは誰かにメールを打ちつつ。
「逆に考えようぜー。小学生なら常識に囚われないんじゃねぇー?」
 大学生ぐらいの人型アバターをした法一は複数の窓に何かを書き込みながら。
 この小部屋で浮いている仲間たちはなんとなく興味をもったようで会話に混ざってきた。
 面白そうな事に首を突っ込む。皆の、というよりハッカーの性分だ。例に漏れず自分も同類だけれど。
「いやいや、常識は大切だろ。裏をかくなら認める」
 半分だけ現実に意識を戻し、タバコを吸いながら皆に話しかける。
 幻実の姿は千手観音だから吸っていたら仏罰でも受けそうだなぁ。
「そもそも、だ。この世界じゃあ幻実世界を現実みたいに感じる事ができる。俺たち、と言っても何歳なのか知らないがここに居る奴らは何十年か生きてから幻実を手に入れた奴らだろう。それじゃあ今はともかく数年後はどうなるかわからないと思う」
 いつになく犬さんは熱く語り始めた。
 ここまで熱くなることは少ない。だからこそ法一を除く仲間たちもこの後に何が言いたいのかわかっているはずだ。
 この光景を見るのはすでに三度目。チームの人数が五人。
 今の仲間たちの中だと、二番目に誘われたのが自分。
「つまり、新しく誰かを引き入れたいんだろ? 俺たちを誘ったように、小学生か中学生あたりを」
 二千十五年に幻実世界ができて、ネットは幻実って呼ばれるようになった。そして、意識を突っ込むようになったのは中学に上がってから。
 幻実が出来てから七年も経っている。それは小学生が幻実に漬かったまま中学生となるのも幼稚園に居た子供が小学生になるのもおかしくない程の年月。
「俺はいいよー。楽しく遊べるならそれでねー」
「私も別にアリだと思うよ。キングは?」
「はっ。てめぇらが賛成してんのに俺様が反対したら、面倒くせぇだろうがよぉ」
 それで決定は終了。小学生のハッカーなんてそんな面白そうなものを放置できるわけがない。
 本物か偽者かはリーダーがすでに判断しているから疑うこともないだろうし。
「なら明日あたり連れてこよう」
「わかった。それで次の標的は学校だっけ?」
「新しく作ったツール試したいからそこにしたいの」
「そういやー。犬さんー。ハードの予算ってどれくらいだっけー?」
 そしていつも通りの日々。
 困る相手がいるとか、そんな事をして何を得るとか、どうでもいい。個人的意見だけど皆もそう思っていると思う。
 刹那的と呼ばれようと構わない。
「春兎の提案で学校だ。あと予算は三十万までで頼む」
 リーダーによっていく場所は決定された。
 必要なツールはSCショートカットに纏める必要があるか。今度はちゃんとキングが前に回るからこっちは裏でこそこそとしていよう。
「それじゃあ準備終わったらやるぞ」
「了解」
「キング、像。出来るだけこれとこれ使って」
「んじゃ作業はひと段落したし補助でもするぜー」
 好き勝手にやるのはとても楽しくて。
 楽しくて。楽しすぎて。
 ずっと続くと、信じていた。